環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

遺跡

塀の有り無し

「中央公園」の名が「城址公園」だったら、早いうちから城郭の遺構を表示する物が整備されていたのかもと思ったりする。 観光地としての広島城は二の丸と本丸に限定されていて、三の丸跡は観光バスを停める所でしかなかった、というと過言になるけれども、表…

昨年の仮囲い

昨年9月には既に中央公園は仮囲いで覆われていて、城南通り側の公園入口各所にお知らせ看板が立てられていた。 業務委託期間としては7月1日から、仮囲い設置は8月3日から。赤い線はスタジアムの建設範囲でその中のスタンド基礎工事部分が「A区」と「B区」…

厠跡

掲示してある図面から、フェンス越しに見える遺構がいくつかわかる。 区画の中では奥の方にある「厠跡」。残っている部分に高さがある。

中央公園中央の遺構

その一本道の西側には、発掘調査区域のB区が広がる。 www.city.hiroshima.lg.jp 広く囲まれた区域の真ん中は掘削土の置き場で盛り上がっている。本川に近い方がA区。 7月の現地説明会資料「近代遺構配置図」がフェンスに掲示されている。現在地の印付き。

生誕の地と周辺案内

「鈴木三重吉生誕の地」記念碑はエディオン外壁に取り付けられているレリーフと金属パネルの2枚が展示されている。 昭和63年に当時のダイイチに、令和元年に現在の東館ビルへ設置。 設置の当初から、現在の紙屋町の一部が猿楽町であることは説明に含まれてい…

八丁堀パノラマ

そのカモツルオアシスの角には原爆被災説明板がある。 被爆後の11月の「八丁堀一帯」の写真を収めているので横長。建物が残っていたら周りのビルしか写らなかったか、建物疎開で一部遠くが見えていたものか。

鏡山城跡道しるべ

東広島の鏡山城跡も、大きな史跡名の石碑が入口にそそり立つ。 kanototori.hatenablog.jp 公園緑地から山道に入ると城跡はこちらと案内表示が導く。 木製と金属製、同じことを指し示す立て札が並び立つ。木が朽ちるのを待つように。(写真は平成20年)

天主台の高さ

三原駅の一階から階段を上がって三原城跡天主台に入場(入園)できる。 駅建物の中の階段から外に出たところで、さらに駅壁面に沿って階段を上がる。 駅の防音壁は天主台よりも高い位置にある。

駅から天主台

三原駅構内には三原城跡の天主台への入口がある。 天井にぶら下がる案内に、「開園時間」が6時半から22時までと表示されていて、 入口階段近くでは「入場無料」と大きく表示されている。いずれも「天主」の表記。

外郭櫓跡

川のほとりの案内板には、昭和58年に護岸工事が完成したとある。 その工事の過程で発掘調査が行われ、昭和54年に外郭櫓跡が確認されている。比較的新しい説明板のあるあたり、空鞘橋の下手に南から4番目の櫓があった。

継立場跡の公園

東広島郷土史研究会専門グループ: まちの歴史は郷土の文化財 西条酒蔵通り歴史庭園(ヒストリアガーデン)がオープンしました。 平成28年には歴史公園が整備され、近世四日市宿や酒造に関する展示案内の場が整った。 継立場を担った小島屋の跡地ということで…

被爆鳥居の脚元

広島護国神社の鳥居は、広島城本丸にある社殿正面の一基と、広島城跡東側入口(RCC中国放送南)の一基とがある。 城跡内に入る車は必ず(?)潜ることになるのが東側入口の鳥居で、護国神社が旧地にあった時には爆心地から330mの近距離に立っていた。 「広島…

教材としての群集墳

展示の半ば、『高等学校と考古学の「今」』の章では、歴史民俗資料館と地元高校の連携事業が紹介される。平成30年から令和2年にかけて実施された課外活動から「七ツ塚第5号・第6号古墳測量図」が作られている。「限られた古墳しか詳細な測量図が無い史跡 浄…

可部の開発と部活の跡

この企画展の扱う高校の部活動のうち、昭和期の代表例として可部高校と府中高校が取り上げられている。それぞれ出土品や調査資料の所蔵は、府中が県立歴史博物館に、可部が県立歴史民俗資料館(「当館」)となっている。 可部の場合、一部調査資料は高校の所…

春の展示会が夏の展示会に

7月3日から8月30日まで、歴史民俗資料館で開かれている企画展が、「ひろしま 遺跡再発見!高等学校と広島県の考古学」。 夏の展示会みどころ紹介 - みよし風土記の丘・みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館) | 広島県教育委員会[広島][企…

英文が下の段

城内各所の遺構を紹介する説明板は、正方形に近い金属のパネルがさほど高くなく幅広くもなく立っている。その下には英文の説明。 それらが日本語と英語で別々のプレートであるために、英文は付け足しのように見える。 おそらく設置時期も意図も異なる、天守…

広大な城と公園

大阪城のように大規模な城と、それを含む史跡や公園は、全体をまとめて説明する看板を最初に読むように都合よく動くことは難しい。 天守に一番近づいたところで目にする、「今の天守閣は3代目」という説明くらいにポイントを絞ると簡潔な説明にできそう。 9…

城と神社の要点

同じ場所の二つの施設をまとめて一つの説明板で紹介するのは、冗長にならず初見の観光客にも目を通してもらえる分かりやすさを意識することになるので、程よい面積。(平和公園のように規模が大きいと、多言語表記で倍以上の広さをとるが) 福山城跡と、備後…

名勝と重文の説明

平和公園の説明板のうち、名勝としての平和公園と重要文化財としてと平和資料館とを合わせて載せているものがある。重文の指定が平成18年なのでそれ以降の設置。 外国からの人が読んでどういう意味合いをとるだろう

慰霊碑の背景

さらに市内中心部繁華街の中にある慰霊碑。 広島中電話局の跡地に設けられた慰霊碑で、被爆当日「職員、女子挺身隊員、動員学徒等451名」がここで被爆し約半数が亡くなる。 慰霊碑を囲む2面の壁の奥には被爆タイルが埋め込まれ、側面の壁に説明板がある。当…

説明板諸相:世界遺産原爆ドーム

世界遺産としての原爆ドームの説明板は四つの項目と写真で構成されている。 「広島県物産陳列館の建設」「原爆ドームへ」「保存への取り組み」「世界遺産への登録」という四段階。 原爆ドームそのものを解説しようとすると、新しくなればなるほど「世界遺産…

「ゆかりの」墓

安芸高田市向原町長田の山林に「尼子三兄弟ゆかりの墓」がある。 明治42年に修復整備された墓地には五輪塔が何基か配置され、宝篋印塔の一部が最奥部に据えられている。中段には後世に加わった仏像や「尼子三兄弟之はか」と刻まれた石碑が並ぶ。 実際には三…

花崗岩のモニュメント

猿猴橋の広島駅側には、平成28年の復元の際に造られたモニュメントがある。 復元前の親柱と欄干を使って説明板と共に立つ。 金属供出前の姿を復元したことで、黒との配色が目立つことになり、被爆時の石の橋の姿は説明板の写真で補足されることになった。原…

雁木だった所

平和公園の東西の川岸に多数残る雁木。 特に大規模だったのが原爆ドーム前の幅の広い階段。今は親水施設として手を加えられているので、雁木部分は狭く、張り出したテラスや記念碑の空間が中心となる。 それより下流に残る、川筋と並行する雁木の下は、消波…

階段下の楠

その階段の脇に横たわる木は「河野通有兜掛の楠」。苔むした幹に乗る賽銭がギラギラとはてなスターのよう。 階段のヘリと繋がるように杭と綱で囲われている。注連縄ではない様子。 「毒蛇に注意」とあるものの、階段の外は区切られていないが、楠の方はきっ…

籠塚の手前

安芸区船越の新宮古墳は開口した石室から「籠塚」と呼ばれてきた。 kanototori.hatenablog.jp 柵に囲まれた墳丘の外に神社が祀られている。この辺りを楠木といい、厳島神社大鳥居の材料に選ばれたとかで、それ自体が信仰を集める巨樹だったのか、それともこ…

線路の間の階段

石見川本駅の三次方面乗り場は島状ホームにあったので、東寄りの跨線橋を通る必要があった。 それとは反対側のホーム先端は階段になっていた。 そのホームのさらに外側、江の川堤防沿いにも線路が並び、その間にはブロック塀と水道が設置されていた。

削られた城跡

その藤掛の城跡は、一部を串戸陸橋が貫通している。 陸橋脇の側道に立つ標柱が城跡の説明を細々と綴っている。

削られた城跡

その藤掛の城跡は、一部を串戸陸橋が貫通している。 陸橋脇の側道に立つ標柱が城跡の説明を細々と綴っている。

神辺の旧道風景

福山市の神辺旧街道筋は神辺城の山の麓に近く、昔ながらの家並みを一部に残す。 三日市通りには、商店の一角に「鈴鹿秀満旧宅」を示す標示が立っている。 ただ、その場でまず目につくのは古めかしいキリンの自動販売機。