環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

遺跡

被爆鳥居の脚元

広島護国神社の鳥居は、広島城本丸にある社殿正面の一基と、広島城跡東側入口(RCC中国放送南)の一基とがある。 城跡内に入る車は必ず(?)潜ることになるのが東側入口の鳥居で、護国神社が旧地にあった時には爆心地から330mの近距離に立っていた。 「広島…

教材としての群集墳

展示の半ば、『高等学校と考古学の「今」』の章では、歴史民俗資料館と地元高校の連携事業が紹介される。平成30年から令和2年にかけて実施された課外活動から「七ツ塚第5号・第6号古墳測量図」が作られている。「限られた古墳しか詳細な測量図が無い史跡 浄…

可部の開発と部活の跡

この企画展の扱う高校の部活動のうち、昭和期の代表例として可部高校と府中高校が取り上げられている。それぞれ出土品や調査資料の所蔵は、府中が県立歴史博物館に、可部が県立歴史民俗資料館(「当館」)となっている。 可部の場合、一部調査資料は高校の所…

春の展示会が夏の展示会に

7月3日から8月30日まで、歴史民俗資料館で開かれている企画展が、「ひろしま 遺跡再発見!高等学校と広島県の考古学」。 夏の展示会みどころ紹介 - みよし風土記の丘・みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館) | 広島県教育委員会[広島][企…

英文が下の段

城内各所の遺構を紹介する説明板は、正方形に近い金属のパネルがさほど高くなく幅広くもなく立っている。その下には英文の説明。 それらが日本語と英語で別々のプレートであるために、英文は付け足しのように見える。 おそらく設置時期も意図も異なる、天守…

広大な城と公園

大阪城のように大規模な城と、それを含む史跡や公園は、全体をまとめて説明する看板を最初に読むように都合よく動くことは難しい。 天守に一番近づいたところで目にする、「今の天守閣は3代目」という説明くらいにポイントを絞ると簡潔な説明にできそう。 9…

城と神社の要点

同じ場所の二つの施設をまとめて一つの説明板で紹介するのは、冗長にならず初見の観光客にも目を通してもらえる分かりやすさを意識することになるので、程よい面積。(平和公園のように規模が大きいと、多言語表記で倍以上の広さをとるが) 福山城跡と、備後…

名勝と重文の説明

平和公園の説明板のうち、名勝としての平和公園と重要文化財としてと平和資料館とを合わせて載せているものがある。重文の指定が平成18年なのでそれ以降の設置。 外国からの人が読んでどういう意味合いをとるだろう

慰霊碑の背景

さらに市内中心部繁華街の中にある慰霊碑。 広島中電話局の跡地に設けられた慰霊碑で、被爆当日「職員、女子挺身隊員、動員学徒等451名」がここで被爆し約半数が亡くなる。 慰霊碑を囲む2面の壁の奥には被爆タイルが埋め込まれ、側面の壁に説明板がある。当…

説明板諸相:世界遺産原爆ドーム

世界遺産としての原爆ドームの説明板は四つの項目と写真で構成されている。 「広島県物産陳列館の建設」「原爆ドームへ」「保存への取り組み」「世界遺産への登録」という四段階。 原爆ドームそのものを解説しようとすると、新しくなればなるほど「世界遺産…

「ゆかりの」墓

安芸高田市向原町長田の山林に「尼子三兄弟ゆかりの墓」がある。 明治42年に修復整備された墓地には五輪塔が何基か配置され、宝篋印塔の一部が最奥部に据えられている。中段には後世に加わった仏像や「尼子三兄弟之はか」と刻まれた石碑が並ぶ。 実際には三…

花崗岩のモニュメント

猿猴橋の広島駅側には、平成28年の復元の際に造られたモニュメントがある。 復元前の親柱と欄干を使って説明板と共に立つ。 金属供出前の姿を復元したことで、黒との配色が目立つことになり、被爆時の石の橋の姿は説明板の写真で補足されることになった。原…

雁木だった所

平和公園の東西の川岸に多数残る雁木。 特に大規模だったのが原爆ドーム前の幅の広い階段。今は親水施設として手を加えられているので、雁木部分は狭く、張り出したテラスや記念碑の空間が中心となる。 それより下流に残る、川筋と並行する雁木の下は、消波…

階段下の楠

その階段の脇に横たわる木は「河野通有兜掛の楠」。苔むした幹に乗る賽銭がギラギラとはてなスターのよう。 階段のヘリと繋がるように杭と綱で囲われている。注連縄ではない様子。 「毒蛇に注意」とあるものの、階段の外は区切られていないが、楠の方はきっ…

籠塚の手前

安芸区船越の新宮古墳は開口した石室から「籠塚」と呼ばれてきた。 kanototori.hatenablog.jp 柵に囲まれた墳丘の外に神社が祀られている。この辺りを楠木といい、厳島神社大鳥居の材料に選ばれたとかで、それ自体が信仰を集める巨樹だったのか、それともこ…

線路の間の階段

石見川本駅の三次方面乗り場は島状ホームにあったので、東寄りの跨線橋を通る必要があった。 それとは反対側のホーム先端は階段になっていた。 そのホームのさらに外側、江の川堤防沿いにも線路が並び、その間にはブロック塀と水道が設置されていた。

削られた城跡

その藤掛の城跡は、一部を串戸陸橋が貫通している。 陸橋脇の側道に立つ標柱が城跡の説明を細々と綴っている。

削られた城跡

その藤掛の城跡は、一部を串戸陸橋が貫通している。 陸橋脇の側道に立つ標柱が城跡の説明を細々と綴っている。

神辺の旧道風景

福山市の神辺旧街道筋は神辺城の山の麓に近く、昔ながらの家並みを一部に残す。 三日市通りには、商店の一角に「鈴鹿秀満旧宅」を示す標示が立っている。 ただ、その場でまず目につくのは古めかしいキリンの自動販売機。

勇免遺跡のあるところ

11年くらい前、三次の風土記の丘に塩町駅から行ってみようと、特に地図も持たず降りたところ、背後の山にある塩町中学校への坂道に行き着きいたので引き返した。 中学校手前の空き地に「勇免古墳群」「勇免遺跡」と書かれた茶色い木の柱が立っていた*1。そん…

説明板もうひとつ

昭和63年の若宮古墳説明板は、三次市教育委員会の設置で、 それより小さめな説明板は、設置年は見えないが広島県教育委員会と三次市文化財保護委員会の連名。樹間に斜めに引っかかっている様子から、この時にはもう役目を終えていたように見える。

若宮古墳の石柱

三次市十日市町の若宮古墳はさらに古い時期に指定された史跡なので説明板がさび付いていた。十年前の写真なので今はどうだろう。 説明板の手前には太い石柱に「広島県史跡 若宮古墳」と刻まれている。木より石か。

朽ちた標柱

道路から古墳に通じる開口部は、説明板と白い標柱に挟まれている。 県の史跡に指定された翌年に設置された標柱は、古墳名が大きく表示されている。 ただし木の内側から朽ちて頂部を失い、痛々しい割れ目を見せている。 平成の始めがこれくらい古いイメージを…

説明板諸相:戸島大塚古墳

同じく安芸高田市の古墳で、向原町の戸島大塚古墳は県指定の史跡。 付近まで舗装された道路があるので近づきやすい。路傍の説明板はけっこう高い位置に設置してあるが読みやすい大きさ。出土品が行方不明とのことで、解説文と遺構の図のみとなる。 指定され…

説明板諸相:甲立古墳

甲立古墳が国の史跡に指定されたのは平成28年3月。現地に説明板が設置されたのはその翌年平成29年。 左半分に古墳全体の測量図と調査状況の写真が添えられている。実際に墳丘斜面に多数の葺石が散乱しているのが見える。 出土品の中でもっとも注目される家形…

墳丘と幟

多目的広場にある甲立古墳の幟は、古墳現地の墳丘上にも立てられている。 山道から古墳の脇にたどり着くと説明板があり、小さな立て札の示す矢印から近づいていく。 後円部の墳頂部に囲いがあるのが幟と並んでいるのを見上げる。

多目的広場駐車場

麓の駐車場は甲立多目的広場の駐車場で、隣にグラウンドがある。 甲立古墳の幟や木製の看板など、甲立古墳をアピールする場所でもある。 地元の甲立小学校*1児童による「ようこそ 甲立古墳へ」の彫刻は甲立古墳そのものではなくイメージだが、教科書に載る畿…

距離つきの道しるべ

安芸高田の文化財では、毛利氏関連と並ぶ目玉になった甲立古墳。史跡としての整備が進み、麓の駐車場からの遊歩道ですいすい登って辿り着く。 山道を登ってすぐの分かれ道で、左は「甲立古墳 140m」と示す道しるべが立てられている。たいした距離ではないも…

絵地図の山城

郡山公園の展望台には、歴史民俗博物館になってからの比較的新しい「吉田町展望図」が設置されている。 イラスト表現は個々の施設を表すので同じものがないことが多いが、郡山城とその周辺の山々に残る城郭跡はその規模や知名度に応じて複数の表現をとる。 …

御火葬場の木

同じく古跡之部の「毛利元就公御墓所」に掲載の多数の付属物の一つに「御火葬場」がある。現在は墓所に至る車道の途中、大通院谷の公園の一隅に土壇が残る。 「御墓路の傍にあり標樹栂の木の様に相見へ申候」とある。植えられた木んp種類が正確には分からな…