環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

可部の商工案内図

周囲の山川を強調する観光案内図とは逆に、市街地の商業施設や公共施設の位置を案内しつつ宣伝する商工案内図の場合は、なるべく余白を少なくして店の名前をぎっしり詰め込むので絵や曲線の入る余地がない。 その看板のあるバス停*1を乗り降りして歩く人のた…

「可部観光案内図」からの変化

その案内図は広島可部ライオンズクラブの「創立30周年記念」によるものとあるので、結成の1961年*1から数えると1991年。ですか? 案内図と現在との違いは大きく2点。可部線が可部以遠もあるということと*2、国道54号の可部バイパスが国道191号との交差点まで…

観光案内図中の太田川

可部駅東口(旧道に通じている方)に設置されている「可部観光案内図」は、横長の長方形内に可部町内の観光地・名所を載せた地図。 盆地の底の市街地は整然と、行楽地の多い周囲の山川は強調して描かれる。上半分に福王寺や南原ダム、根の谷川沿いの史跡など…

キャンプ場での禁

その案内図の下には注意書きが3箇条。二番目で他人に迷惑を及ぼさないようにとあるので、ゴミの片づけと遊泳の禁止という箇条もそれに含まれる具体例といえなくもない。 「この付近での遊泳はやめてください」の「近」はしんにょうの点が少し上に離れていて…

柳瀬キャンプ場近辺

太田川の南流から北流への大きな湾曲部の内側が柳瀬で、上流側(安佐北大橋や柳瀬八幡宮)を中心地とする。バス停名もそのあたりに「安佐北大橋東」や「柳瀬中央」があり、可部方面へ曲がっていくと「下柳瀬」「ロッヂ前」「発電所前」へと続く。 可部・飯室…

ロッヂ前バス停

発電所前バス停の次が「ロッヂ前バス停」。太田川が南流から北流へと大きく向きを変えた直後のあたり。 平成21年に通りかかった時点でも表記は「ロッヂ」。電柱・電信柱では「ロッジ」が目に入るし、広島交通のサイト内でも「ロッジ」。 広島交通 各バス停時…

発電所前バス停

旧亀山発電所のへ交通手段として、広島県文化百選(4)建物編の頃は「バスセンターから柳瀬行きバスで発電所前」とあったが、現在の路線は「宇津・可部線」。上原―安佐市民病院―可部駅―(太田川沿い)―安佐営業所という経由地を行き来する。可部線でいうと河戸…

旧亀山発電所

亀山発電所の運転は明治43年から昭和38年。 広島市亀山公民館(安佐北区) あゆみ5回 亀山の発展と太田川 のページに「時に洪水によって浸水の被害を受け、時に干水によって出力の滅少を来すなど」とある。水量が多くても少なくても難儀する。 建物正面の長…

発電所橋

太田川が南から東へと向きを変える、その手前の西岸、下柳瀬では砂の堆積した河原が広がっている。 集落の北端、現太田川漁協の旧亀山発電所建物あたりから県道の幅が狭くなる。建物の北隣に橋があり、「落石注意」の看板が立っていた時期がある。 現地では…

県道の上の鉄道跡

県道の川沿いにはガードレールがあり、山側には電柱が連なる。すれ違い困難な幅の区間や、待機場所となる奥行きのある区間がある。 山腹の可部線線路跡が頭上近くに迫っているような場所では、コンクリートの擁壁によって岩や木々のないまっすぐな急傾斜が続…

抱岩の道

鳴の対岸では県道の上にも下にも岩場が広がる急斜面。 可部方面に向けて立っている看板に「抱岩地蔵」とある。 だきわ地蔵 : かべの町かど のページ*1によると、寛保三年に川沿いの道が開かれて以来の地蔵で、現在地の前にはさらに高い所に位置していた。 今…

鳴の堤防

map:x132.488675y34.511989:hybrid:w450太田川は柳瀬*1を内側に取り巻きつつ南へ北へと向きを変える。西の川向かいは安佐町*2の筒瀬で、東の川向かいは八木町*3の鳴(なる)。「ナル」は緩傾斜地の意。対岸の急傾斜との対比で実感しやすい。 北への流れが東へ…

堤防の白

社叢の背後を取り巻く堤防の白いブロック。 土の上を重機が動くような、真新しい頃ということで白さも目立つ。平成20年度末に行われたのが筒瀬地区の第五堤防工事。 下流の安佐北大橋から眺めると、湾曲部に面した白い帯が見え、そのすぐ下手側にこんもりと…

緑の中の赤み

そういった古今の樹木がとりまく境内で、社殿*1の屋根の赤はとくに映える。 拝殿右の椿も散り敷いて赤い。強いて言えば左の桜も。 *1:本殿・幣殿・拝殿

筒瀬八幡の背後

「筒瀬八幡神社の社叢」は広島市指定天然記念物。昭和52年の指定で、説明板は昭和54年のものなので、所在地の表示は「広島市安佐町大字筒瀬」。安佐南区の設置は昭和55年。 説明板右側には「主要樹木の配置図」があり、例えば拝殿東隣には 「クスノキ ● 248…

筒瀬八幡の物陰で

同じく雉を見かけたのが、太田川中流の湾曲部にある筒瀬八幡神社。 ただそのときは鳴き声も無かったので、はじめは気付かずになんとなく境内の社叢を眺めていたところ、木々の陰になっているあたりに何か丸い塊が写真に収まった、けれど次の瞬間には姿を隠し…

戸島川沿いの草むら

水面が遠景を映さない、草の生い茂る田畑や畔が広がっていて、その合間を流れる戸島川はまだ小さな幅で目立たない。 けけけけ、と鳴き声が響くので見回してみると、川に近い草の中に雉が一羽。県道からちらっと眺めたけれど、すぐに姿を隠していった。

田植え前の水田

向原町の県道29号を東へ。峠を下ると道の左手がだんだん開けてきて、戸島川沿いに田畑が広がる。 水を張った状態の水田に佇む鷺は、背景とともに水面に逆さの像を写す。背景によっては苗がある時よりも目立たないかもしれない。

水田の鳥

その社の手前に広がる水田。見かけた時期は田植えから間もない頃で、二羽のカモが畔や苗の間を行き来している。田んぼが庭のようなものか。 芸備線の別の場所で、車窓から見下ろす水田のほうぼうに見られる鷺の類。遠目にも目立つ緑の中の白い点々。

塩町の線路脇

「塩町」は大田幸*1村(後の田幸村の一部)の中の枝郷の一つ。村の中では北の端であるものの、川沿いに石見路が通っていたり鉄道駅も出来たりで、周囲の旧村名並みの知名度を得る*2。 その名の由来とされる塩分を含む冷泉と塩神社を以て「塩町の地名発祥の地…

塩町の駅

駅長さんの書いた駅名(広島鉄道管理局)ものがたり (1977年)の本は、国鉄の広島鉄道管理局(当時)の範囲を扱っていて、芸備線の記述は「神杉駅」から始まる*1。 その「神杉駅」の項でも一部「塩町駅」について触れられている。大正11年の開設時は「塩町駅」…

美波羅川踏切

美波羅川と馬洗川の合流点から二箇所の橋があってさらに上手に、芸備線の鉄橋が架かっている。草の生い茂る川の上に赤い橋が目立つ。 その東岸にある踏切が「美波羅川踏切」。東が塩町駅で西が神杉駅。踏切から橋を眺めても、下の川面は見えない。

美波羅川

広く江田庄と括られた三谿郡西部地域。そこで一番大きな川が「美波羅川」で、みよし風土記の丘の東を流れて馬洗川に合流している。源流は世羅郡の青水。 前項と同じくふるさとの川と桃源郷 (芸備選書)。 p47からp53は「美波羅川-正しくは三原川。美波羅川は…

馬洗川の名

神和橋の下流側の欄干は外側へ開いているので、端部の橋名板が隠れるようにガードレールが連なっている。 それはともかく、「馬洗川」(ばせんがわ)。 ふるさとの川と桃源郷 (芸備選書)によると*1、世羅郡の馬洗池(まあらいけ)を語源とする統一名称として…

神和橋

馬洗川の橋で神杉駅に近いのは、400mの距離にある「神和橋」。八次の熊野神社へは6.9km。 備北大橋ほど大きくはないものの、車がすれ違うくらいの最小限の幅がある。 「向江田」と「和知」が合わさって「和田」、「廻神」と「高杉」が合わさって「神杉」*1。…

向江田水管橋

map:x132.909814y34.77991:hybrid:w450 東から西へ流れる馬洗川に架かる備北大橋。その下流側には「向江田水管橋」が架かっていて、管理通路はフェンスで閉じられている。 川の北岸地域が向江田で南岸地域が江田川之内。三谿郡時代の西部15ヶ村*1を広く差す…

神杉交差点と備北農道

国道と広域農道の交わるところは「備北大橋」の南詰の「神杉交差点」。 石に刻まれた橋名は、車から視認しにくいかもしれないけれど、格好の良い字。 交差点の南へまっすぐ行くと、「備北大橋南」バス停を経て「神杉跨線橋」*1が芸備線をまたいでいる。「す…

備北大橋南の可変標識

一昨年の三月に神杉駅近くを歩いていた時*1、国道184号と備北農道とが交わるところで見かけた可変標識は、「凍結注意」を示していた。朝はきっと冷えていたと思われる晴天の三次盆地。 ただ、その下の温度表示の部分は「調整中」の貼り紙で覆われていた。上…

新竜王橋東詰

西岸の竜王町の丘陵上へと登っていく橋なので、2.7%の傾斜がある。橋の手前の路側に「走行注意」の可変標識がある。 下に「全感応式三可変 温度により表示内容が変わります」とある。これからの冷える時期はとくにパタパタ動くことになるか。 橋の東詰は北…