環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

壁を背にしたバラと説明板

福山人権平和資料館の花壇には、ホロコースト記念館から寄贈されたバラ「アンネ・フランクの形見(品種名)」が植えられている。 花の咲いていない時でも、立札型の説明板がその所在を示している。寄贈されたのは平成27年で、説明板が設置されたのは今年3月。

バラの平台

その公園用地の駅寄りの角にはバラの花壇があり、そこを背にしてベンチがある。 バラの花と葉のデザインのそのベンチは、上面が平たくてトレイのよう。花の部分は物置きか肘掛けか。

天守を見上げる自販機

福山駅北口正面の、城の石垣の下のスペースが公園になっている。 車道を背にして立つ自販機は二台と容器回収箱がつながっている。表面を福山城の新旧天守や門などの写真があしらってある。宣伝というよりも、説明板を兼ねているようなキャプション付き。

開館時間の長さ

福山城にしてもふくやま美術にしても県立歴博にしても、日の明るいうちに見終わらないとと焦ってしまう。 それらとは少し離れた商業施設「リムふくやま」(旧ロッツ)内の書道美術館は19時まで観ることができる。なので(そういうスケジュールなら)、そこを…

展示の中の広島

その日、福山駅近隣の展示を見に行くと、久能山東照宮と戦国の芸備で大半の時間が過ぎていく。 その合間に、他のテーマの展示を見ることも出来る。同じ館の常設展であったり、隣接する施設であったり。 美術館での所蔵品展は、安浦出身の南薫造作品を中心と…

重なる期間の歴史展示

久能山東照宮の企画展と似たような期間に開催されているのが、県立歴史博物館の「戦国の争乱から太平の世へ」。 出土品や文書から芸備(おもに備後)の中世から近世への変化を辿るという構成。草戸千軒町遺跡からはじまり、毛利氏、福島氏の支配の進展があり…

三館でひとつ

企画展『国宝 久能山東照宮–徳川家康と歴代将軍ゆかりの名宝』は11月17日まで開催。 主会場はふくやま美術館で、四章構成のうち第三章の一部を福山城で、第四章をふくやま書道美術館を会場としている。三館合わせての入館券が1500円で、一つの企画展のほかに…

3つのフロアまで

通常なら、天守閣最上階から四周を展望する観光客の姿を見上げることができるけれど、 現在は「3階より上の階へは上がることが出来ません」という状態。「2階」までなので、展示構成としては、地階・1階の企画展と、2階の後期領主阿部家に関する展示のみとな…

景観重要建造物

月見櫓と同じく、福山城天守閣も昭和41年に復元された建物で、指定文化財になれない分、戦前は国宝(当時の)だったという補足がつきもの。 それでも市の中心部のランドマークとしての重要性は、県内の他の城跡を圧している。 昨年、県内で初めて「景観重要…

菊の映える天守閣前

菊花展の会場は「福山城天守閣前広場」。それに近い場所でのイベントと何らかの関わりを持たせて来客が増えれば、いずれもか又はいずれかの施設に効果ありということになる。 角の月見櫓で、現代アートのプレイベントがあったり、期間中の天守閣の展示は久能…

菊花展の看板

その菊花展の会場は、福山城博物館正面の広場が使われている。 主な入口となる福山駅北口から登る坂道に、福山城の企画展と対になるように看板が立て掛けられている。松の枝で上が少し見えにくいけれど。 門をくぐると正面にある巨大な看板。くぐる前からよ…

福山市の花

同じように、この時期、福山城公園でも「福山菊花展覧会」開かれている。ちょうど今日開会。 www.city.fukuyama.hiroshima.jp www.city.fukuyama.hiroshima.jp その紹介ページを見て、「福山市の花」が菊だと知り驚く。バラだけじゃなかった。

菊の花と葉

毎年秋に広島城二の丸辺りで開かれる菊花展(写真は平成26年)。 ポスターでは花の部分がいくつも散りばめられていて、赤白黄色の明るい色が強調される。 現物の菊花の作品は、花が一面に広がっているものもあれば、茎と葉の緑が大半を占めて、その中を花が…

献花されたあと

その豪雨災害の同年12月3日と4日、(先の)両陛下の広島行幸啓があり、安佐南区の被災地、平和記念公園、原爆養護ホームへのご訪問がありまして。 ので、平和記念公園へ向かったけれど、ちょっと遅かったので人だかりと白菊の花束を見て帰りましたとさ。

当時の展示

八木用水のことは、小学校社会科でおなじみの郷土史教材として知られているので、郷土資料館の常設展示でおさらいする大人も子供も大勢いるのだろう。 平成26年8月の豪雨災害の際、ちょうど郷土資料館での企画展は「太田川の歴史」だった。見に行ったはずだ…

参道の麓は少し旧状

被害を受けた細野神社境内は、修復により階段とその横の擁壁が作り直された。白い。 階段の数段目から真っ白でまっすぐな石で、麓の数段や周りの狛犬台座などは元の石を保っている。

石碑の復旧

移転するつもりのない石碑が、災害によって攪乱されてしまった後、傷を残しつつも元の位置に直された姿は、災害からの復旧を象徴する意味が加わる。 安佐南区の細野神社の麓に立っていた「定用水碑」と「熊野忠左衛門墓碑銘」が豪雨災害により土砂に流された…

可部の北の分岐

石碑に「南无阿弥陀仏」と蓮華の刻まれた道しるべが横川(南原川が根の谷川に合流する附近)に据えられている。 正面左右に「右ミよし」「左はまた」と並べることで、南から北への道しるべの役を果たす。逆の機能は無いというか必要がなかったのだろう。 現…

裏面は近代

同じく吉田町にある地蔵堂の前に、種字を刻んだ記念碑が立っている。 享保13年に二百年の法要をつとめた記念として、平らな石ではないけれど凹凸は少ないので刻まれた字は白く映えて読みやすい。 その裏面は元々字を刻むことを想定していなかったのだろう、…

灯籠に刻まれる字

吉田町の住吉神社に据えられている石灯籠は、手を加えない不揃いな面の竿石の比率が大きい。胴長。 大きめな字は、「萬延元」の紀年銘の面くらいで、他の面には細く小さな字が崩して浅く掘られているので、このままさらに風化したら文字があることもわからな…

粗い四面

厳島の参道にひょっこり立っている低い石柱は、上面を水平に均した方位盤が刻まれている。 普通の記念碑と違って、側面の四面よりも天辺を見てもらいたがっている。 だからというか、全体のバランスのためか、側面が平滑でないため刻字が凹凸に紛れてしまう…

河戸筋の要所

可部中央から西へ、柳瀬・今井田方面へ通じる県道は、可部線沿いの区間が着々と拡幅整備されている。 旧河戸駅の手前あたりは元々そこそこの道幅を持っていて、昭和の昔から簡易郵便局や商店が集まっていた所。 大字の中心地といった立地の名残として、警鐘…

駐車場の角の道しるべ

可部の旧道(可部駅東口に通じる県道及びその北に延びる旧可部町中心街)を、柳瀬筋へ別れる交差点には、以前(平成20年)石柱の道しるべが立っていたのを見かけた。 kanototori.hatenablog.jp それから年を重ねると、その道しるべのあった角地がコンビニに…

駅から三丁西

栄橋とそこを通過する道は、近代の市街地の道という性格が濃くて、 東詰の駐輪場脇に立つ道しるべには、「舊大本営」や「泉邸」への距離が示される。橋を渡らず北に向かうと饒津神社。どれも昔の絵葉書の定番にあたる。

栄橋のたもと

個人的には、広島駅から縮景園に行くための橋が栄橋。 京橋のような主要な街道ではないので狭い。たもとの歩道も空間が足りなくて、人の行き来があまりスムーズでない。 橋の両岸、草の生い茂る護岸も雑然としていて、西側の岸の雁木も狭い。6年前の記事では…

京橋のたもと

猿猴橋や京橋のように、近代の形を保っている橋の親柱は大きな角柱を門柱のように構えているので、橋の出入りには見通しが悪くて不便なこともある。 しかし凍結防止剤の置き場にはちょうどいい。

「驛前大橋」

幅の広い駅前大橋は橋のたもとを末広がりにしてあるので、横断歩道から真っ直ぐ行く人も、川沿いの道を行く人もスムーズに渡れる。 たもとのカーブをつくる親柱にはこじんまりと「驛前大橋」の橋名が刻まれている。「驛」が旧字体で、「橋」(呑の部分が有)…

駅前大橋からの分岐

城跡を縫って文化施設を辿る「文化の道」と、京橋川沿いに平和大通りを進む「平和の道」にしても、最終的には平和記念公園に至る。 駅前大橋南詰の道しるべは五ヶ所の目的地を挙げるが、方向は西か南かのどちらか。それぞれの道で中間で分岐した先に比治山公…

駅前大橋が起点

広島駅南口から、市内中心部の広島城跡や平和公園への徒歩による道筋が設定されていて、それぞれ「文化の道」「平和の道」の名がある。歩道の角角に案内表示がある。 各所にある案内図は市外の詳しい地図としては古くなりすぎたものの、ルートは大きく変わっ…

橋の名義

『芸藩通志』巻七安芸国広島府二の「橋梁津渡」は西国街道の東から橋の名が並ぶ。 「俄羅々々橋」は「昔はがら竹を用ふ、故に名づく」とあり、 次の「猿猴橋」は「名義知れず」とする。怪異は蒐集してない。