環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2007-01-01から1年間の記事一覧

榊山神社「熊野毛筆元祖頌徳之碑」

石段の麓にいくつもの石碑が立っている。 そのうちのひとつ「熊野毛筆元祖頌徳之碑」は、昭和丁亥年*1、今から六十年前の八月に建てられたもの。 碑文は「熊野町立図書館-デジタル熊野」の「1954年02月発行 筆の町 熊野誌」に載っている。以下、孫引き*2。 …

榊山神社境内

安芸郡熊野町の榊山神社は町を見下ろす岡の上に南面する。 境内の西側には熊野本宮神社がならんで鎮座する。 その二社のあいだの玉垣に沿って、桜と石灯籠が交互に立っている。 榊山神社の公式ページ http://sakakiyama.net/index2.htm のflashを見るとより…

被爆2世桜

そしてその記念樹。 アップロードする写真のサイズが長辺300ピクセルになってみると、狭い範囲を切り取らない方がよさそうで。 風景を載せるぶんにはちょうどいいのだけれど。 文章を水増ししてバランスをとるか。難しい。

「桜」の字を飾る

五日市の「被爆2世桜」碑。「桜」の「ツ」の部分を花びらとする。「櫻」ならもっと満開だったろう。文面はこう。 この桜は、広島市役所旧本庁舍中庭で被爆した桜の枝を接木し育った2世桜を1995年被爆50周年記念事業として、佐伯区原爆死没者慰霊碑建立記念樹…

2世で千年万年

樹木ともなると、おしなべて人より長寿(願望を含む)なので、 被爆桜といえども頑張って生きてくれるだろうと思うもので、さらに2世が生れれば、被爆の境遇を受け継ぎつつさらに長生きが期待される。 佐伯区の五日市中央公園にある被爆2世桜は1995年に移植さ…

玄孫の間隔

その人が亡くなって百年後に玄孫が活躍している、というのが前項で挙げた例。 その人が長生きしていれば玄孫とは幼少の頃に面識がある、というくらいの間隔で、近からず遠からず。 僅かに馬士歌(まごうた)の哀れを止むるのみなるも改まる御代(みよ)に余…

「山陽文徳殿」扁額

扁額の写真を撮ってはみたものの、墨も彩色もない木彫りのままなので輪郭がはっきり見えないかもしれない。iphotoの調整つまみをいじったらこんな感じに。 「玄孫元孚拜書」とあって、頼山陽-聿庵-誠軒-古梅、と続いた家系の古梅(彌次郎)の子。号は梅崖。尾…

ブンとモンのふみあやまり

山陽文徳殿は被爆建物で、正面に被爆樹木のソメイヨシノもある。歪んだ屋根の九輪がその名残。 ながいこと「もんとくでん」と思っていたら、「ぶんとくでん」でした。 それならばと、google:"ぶんとくてんのう"を見てみると少し例がある。

山陽文徳殿

多聞院には頼一族の墓(県史跡)がある関係で、寺の裏手の少し登ったところに山陽文徳殿が建てられた。 昭和7年*1の没後100年を記念して昭和9年*2竣工。 郷土の偉人として当時の知名度は抜群とはいえ、広島を主な舞台に活動していなかったり墓所が京都にあった…

おやまあるき

多聞院の境内には新四国八十八ヶ所霊場などの札所が配されていて、四十分ほどで一巡できる経路*1。 「霊場巡拝の心得」として「このお山は比治山公園に隣接していますので、次の次項を特に注意してご巡拝下さい」と注意を呼びかける。寺域の環境を傷つけたり…

多聞院の山号

筆先が二股に分かれないまでも、「山」の中心がふくらみのある筆触を成していれば芯の通った不動心。尚且つかすれによる空間も見える。 写真は南区の真言宗多聞院の扁額「吉祥山」の一部。

文字抜粋「山」

こちらは「山」の定番の形。象形のはじめにさかのぼって、中央の空間を山塊とその裾野とするなら、それを省略して一本の縦線にすると、木が三本生えているだけに見えてきてしまう。 いや、画数を増やせというわけではなく、ちょっとばさばさになった筆を二股…

偏辺角額

こちらは同じく旭山神社の扁額で、拝殿に掛かっているもの。 結構の難しい「山」の字も、こうやって飾ると安定する。 鳥が翼を広げているようにも見える。

熾仁親王の書

西区己斐の旭山神社の扁額は、厳島神社大鳥居と同じ熾仁親王の揮毫。「二品親王熾仁書」がずいぶん目立つ大きさ。 共通する「神社」の字で特徴がわかるかと思う。*1 *1:不親切な言いよう

扁額修復後

http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20070123/1169563140に載せたのが修復前の大鳥居扁額。 そして修復後の写真がこれ。「伊都岐島神社」の文字がきらきらと鮮やか。