環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

霞の花

南区の西霞町にて。 霞庚午線の事業用地としてフェンスで囲まれている土地の一部が花壇に使われている。「霞フラワーガーデン」という名前。花の香が澄む。 目的の一つに「道路事業用地の除草など維持管理費の削減」とあるように、花壇ではない方の用地は草…

緑地のようなもの

歩道の脇の空き地を管理する人の意図とは別に、植物が生えてきたり植えられていたりしたら、何かしらの形で注意書きが掲げられる。 花が植えられていたり、畑に使われていたり。注意書き自体が長期間置かれていると、それを含めた風景が日常に溶け込んでしま…

花の路傍

その季節になると一面の花になる、という中央分離帯なら写真に収められる機会は多い。例えば吉島通り。周囲に工場や倉庫が立ち並ぶ中に色を添える。 バイパスのような多い道路や側道を持つ道路にも植栽は数多く見られる。*1 花の無い時期にはただ視界を遮る…

国道の緑

広島インターチェンジの北では古川と国道54号(佐東バイパス)が並ぶ。 歩道や中央分離帯に植樹があるのは普通の風景ながら、歩道に向けて説明板が置かれていて樹種の紹介をしている。 歩道植樹帯の説明板のある部分には「ハクビャクシン類 ブルーカーペット…

古川下流の緑道

三川橋のたもとには「古川水鳥緑道」の案内図が置かれている。 南は太田川との合流点から、北は祇園新道(古川橋)のちょっと先まで。安川のほうにもちょっと入って「安川新橋」付近まで続く。 さらに先は「せせらぎ公園」の緑道になるので、インターチェン…

小瀬の河川敷

安川と合流してからの松原橋近くに「川でのちゅうい」の看板*1が置かれているのと同じように、 小瀬大橋近くの河川敷にも同種の看板がある。現在地の表示は「おぜおおはし」の振り仮名だったりするが。 看板には川の中で遊んでいる写真と、「水かさが増えて…

古川の小瀬

「小原」の「小」を「こ」と読んだり「お」と読んだりする*1ように、「小瀬」も「お」*2だったり「こ」だったりする。 古川が安川(付け替え後)と合流する直前に「小瀬大橋」が架かっている。 『国郡志御用につき下調べ書出帳』(中筋古市村)の「村内小名…

地名の読みの絞り込み

そういった小字規模の地名は近隣の看板や電柱で目にする場合がある。 それによって「小原」に「コバラ」の読みがあてられているのを知ったり(それで正しいと言えるわけでもないけれど)、 「上楽地」も「上楽寺」もどちらも「じょうらくじ」かと、間接的に読…

奉納された物

掲揚竿や狛犬以外にも、奉納物にはそれぞれ「奉献」の字とともに奉納者名や居住地区名が載る。光廣神社の氏子圏の一端が見える。 赤色の灯籠は「上楽地」と「市ノ坪」の人から、参道脇の石柱は「古土居町内会」から、階段上に上がって手水鉢には「小原」の人…

光廣神社の金具

実際に掲揚ポールが取り付けられていた例として光廣神社社頭(安佐南区)*1を見てみると、上下の穴に取り付けられたボルトがポールをしっかりと固定しているのが見える。錆の少ないきれいな一式。道路に面しているほうの石柱に「奉献」と刻まれている。そち…

大町西の丘の上

武田山の東斜面の河内神社からは大町・古市の町を見下ろせる。 階段の参道を登りつめてすぐのところに掲揚ポールの支柱が立っている。 側面に大きく「大正九年十月吉日」、対の石の側面には寄附者名。境内内側の面に「奉」「献」とあるのでそちらが正面か。 …

挟む石

桜の茂る参道の奥には掲揚旗ポールも立ててある。木々の合間に揚がる日章旗。 「世話係若連中」など刻まれた細い石柱が2本、ステンレスのポールを金具で挟み込む。それだけで安定するのかと思うけれど、竹竿の幟のように撓ることはないからいいか。

支える柱

垂直に立てるのなら、同じく垂直に立っているものに二ヶ所以上括りつければよし。鳥居であったり注連柱であったり。 大きな幟のように固定する柱のほうが短い場合は、いくらロープや金輪でしっかり固めても上のほうで撓る。支える石柱の根元にも補強が施され…

ステンレスの傾き

光を反射する旗竿の横には手水舎の柱も光る。屋根に比べると手水鉢は小さめながら、正月ともなると置かれる柄杓が多い。 拝殿の前には三つ巴の旗が一対。柱の下端と軒先とで斜めに固定される。

長い旗竿

同じく安佐南区祇園の熊野神社も、同じような立地の境内で同じように国旗が交差している。 こちらは旗竿が長いので、斜めに掛けても鳥居の足元から笠の上までに及ぶ。真ん中に扁額があったら交点に隠れそうなところ、ここでは横長の額が目立つので多少隠れて…

取り付け位置

安芸津彦神社(安佐南区)の注連柱は旧道に面した参道入り口に立っていて、根元にゴミ収集の看板が括られている。電柱よりも引っ込んだ位置にあるので一時的な置き場を確保できる。 境内の社殿前に石鳥居があり、正月ともなると国旗二振りが交差させて掛けら…

昭和47年の鳥居

石鳥居に立てかけられた看板は、鳥居の足に針金で括りつけられている。 針金のちょうど下の位置に施工業者の刻まれた石板が埋め込まれている。向かい側の奉納者銘は縦長の石でこっちだと針金がかぶさる高さ。 昭和47年の奉納で、「廿日市町可愛」の人である…

初詣の社前

バス停には年末年始のお知らせが貼られる頃、神社には初詣の看板が立てかけられる。 速谷神社では石鳥居に白い看板。 禁制の立て札も掲示板のように使われ、ポスターが画鋲で留められる。

養生テープの長さ

バス停の掲示にテープを使うとしたら、布テープではなく緑色の養生テープが多い。 必要な長さを手で切りやすく、付けた面の印刷は読めるままで、剥がしたときに板に跡が残らない。 テープより掲示物のほうが長いときは風にあおられてはがれそうになる。 はみ…

繋留柱の頭

南区出島の岸壁に並ぶ繋留柱。 柱の先端が陸側に曲げてあり、ゆるい傾斜の面が掲示物を貼る空間になる。 港湾管理センターによる係船使用予定のお知らせが布テープで貼られている。過去に使ったテープの跡が残っている。剥がしにくさが安心の粘着力。

クレーンと台

水面に降りる雁木のほか、少し上段に上がる階段もある。 アレイからすこじま 魚雷積載用のクレーンが当時の姿を保ったままモニュメントになっている。遊歩道の面から階段4段を介した台の上にある。 手前の繋留柱は白い。

水際の数字

船ごとにふられた固有の番号以外にも側面に数字が並んでいて喫水目盛になっている。 8・6・4・2などと、下から上へと二つとびの数字が連なっている。潜水艦の曲面にも付いている。 岸壁の雁木を見渡すと、潮の満ち引きの範囲に付着物がこびりつく。階段…

白字の船

呉市の「アレイからすこじま」では海上自衛隊の艦艇が見られる。 それぞれ船首左右に大きく白字の番号。潜水艦では艦橋の横に。 垂直な面に「ひびき」とあるのが音響測定艦。数字よりは小さいけれどサーチライトと同じくらいの大きさ。

車輌の白字

駐屯地の近所の道路なら、普段からそこに所属する部隊の車輌が行き来するのを見る機会も多いかもしれない。「災害派遣」の車両が連なっていた時もあるけれど。 旅団の創立記念行事ともなると、海田市の部隊だけでなく中国地方の駐屯地からも各種の車輌が展示…

自衛隊前バス停

広電バスの熊野線の経路に「自衛隊前」バス停がある。旧称は「師団司令部前」。前項の広島駅前の路線図では旧称のまま。 第13師団が旅団に改編されたのが平成11年。改編時に「旅団司令部前」と呼んだ場合、日本中でこの場所だけを指す言葉だったことになるが…

広島駅前のバス路線図

広島駅南口のバス路線図は、駅前からの行先に対応して広く郊外に及ぶ。 北は飯室・大林、東は瀬野・熊野跡、西は美鈴が丘・商工センター。 上深川より先にあった線や海田湾岸一帯の線は白く塞がれ、旧西飛行場近辺は路線と名称が改まり、市内中心部は何箇所…

古い掲示の痕跡

「丹那町西」のバス停*1は比較的新しい設置だからか、掲示物とそのまわりはすっきりしている。 同じ路線の「中国自動車学校前」や「仁保沖町」のバス停には、現路線図の下にひとまわり大きい旧路線図が貼られていた跡がみえる。 大きさは違っても市内の路線…

バス停の掲示

時刻表や路線図などの掲示物が多いバス停は、路線の行先きや本数の多さが伝わる。どの路線に乗ってもいい場合にはちょっと迷うかもしれない。 汚れていたり貼り方が乱雑なのはいけないにしても、臨時のお知らせが既存の掲示物にかぶさるように貼られるのは、…

仁保二丁目バス停

国道2号のバス停名には「渕崎」も「柞木」*1も使われていて、住所表記が広く「仁保」であっても「仁保○丁目」が連続するよりは別々のバス停名で続くほうがわかりやすい。 「東雲町」バス停と「渕崎」バス停の間に「仁保二丁目」バス停がある。 現在の位置は…

渕崎公園

仁保橋の西詰は広島高速の高架下に渕崎公園がある。東雲の南端。 「渕崎」は仁保が島だったころの集落のひとつ。本浦・大河・丹那・日宇那は何かしらの形で住所表記に残っているけれど、渕崎は施設名にところどころ残っている。