環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

千田町の職安

千田通りに面した公園の前に立つ石碑は「広島公共職業安定所千田町庁舎跡」の沿革。 広島市における「公設職業紹介所」は大正9年の東松原職業紹介所と中央職業紹介所に始まる。 それ以降の名称や所管の変更が綴られる。当地千田町に庁舎が置かれた期間は、昭…

千田通りのガラス板

屋外で文字や写真の展示を見せる際、風雨を凌ぎやすいのは屋根つきの小屋に入れておくことだろうから、石碑に比べてたくさんの情報を詰め込みたくなる。 文章・地図・写真・イラストを組み合わせて横に広く展示スペースをとる「類焼をまぬかれた喜びを伝えて…

千羽鶴の色

慰霊碑には花が供えられていたり千羽鶴が掛けられていたり、白や黒の石碑に彩りを添える。と言っていいのかどうかわからないけど、墓に準えると盆灯籠の趣。 御幸橋たもとの親柱に並んで慰霊碑が並ぶ。文書や遺物の展示スペースは電話ボックスのようなガラス…

慰霊碑の背景

さらに市内中心部繁華街の中にある慰霊碑。 広島中電話局の跡地に設けられた慰霊碑で、被爆当日「職員、女子挺身隊員、動員学徒等451名」がここで被爆し約半数が亡くなる。 慰霊碑を囲む2面の壁の奥には被爆タイルが埋め込まれ、側面の壁に説明板がある。当…

宇品西三丁目のモニュメント

宇品西三丁目の大林組宇品寮の一角に、「旧広島陸軍糧秣支厰倉庫」の煉瓦の一部が保存されている。建物として一部が現存しているのは缶詰工場だった所の郷土資料館があるが、多数あった倉庫群は姿を消した。 路傍に置かれた煉瓦の塊は、説明板がないと何物な…

調整池のくぼみ

旧牛田浄水場の遺構に水道資料館などの建物が残っていて、被爆建物であり近代化産業遺産でもある。 資料館手前の道の脇にある「旧濾過調整池上屋」は調整池のへりに位置するので、池を囲むフェンスによって保護されている。 背後には総合屋内プールの建物が…

東千田町の立入禁止

高層マンションの敷地の北には東千田公園があり、西の千田通りと北の国道2号に接している。 公園の出入口のどちらからも奥まった位置に残る広島大学旧理学部1号館(被爆建物)。こちらを取り巻くフェンスは低いものだけれど、建物の老朽化で危険なため立入禁…

広大跡地の一昨年

駅前通りを南西へ、東千田町の広島大学本部跡地に高層マンションがそびえ立つ。こちらは53階で、眺望をアピールする画像には厳島の島影が遠景に浮かぶ。 一昨年3月ごろには、まだ下の階の骨組みも無く、フェンス近くから見上げるクレーンも低い位置にとどま…

ビッグフロント西棟のクレーン

広島駅南口の松原町は再開発が進んで高層ビルが駅前を囲んでいる。 4年前に完成した「ビッグフロントひろしま」の住宅部分は12階から52階で「シティタワー広島」の名称。その下の各種施設や店舗が集まる部分は西棟と東棟とがあり、駅前大橋から猿猴橋にかけ…

トランヴェールの南のクレーン

同じく紙屋町。 トランヴェールに隣り合う広島銀行本店建物が建設中。 昨年11月の様子は、高く聳えるクレーンと周囲に立つ白いフェンスで白さが多い。 今年3月に、南から眺めると少しずつ姿を現した骨組みがある。四階分くらいだろうか、まだまだクレーンは…

紙屋町の角

Googleフォトの画像貼り付け機能が利用できないまま。 わざわざ「デバイスに保存」する一手間。 合人社広島紙屋町のビルの向かい、もと「広電ビル」の場所に現在の建物「広島トランヴェールビルディング」が現れたのが10年近く前。 上が平成22年10月、クレー…

基町に連なるビル

地下街中央の北東角にはオフィスビル「合人社広島紙屋町アネクス」がある。昔の「第一生命ビル」。隣が「合人社広島紙屋町ビル」でこちらは昔の「千代田生命ビル」。 地下の案内表示の順番ではパーキングを挟んで「和光紙屋町ビル」「三井生命広島ビル」と連…

ビル名の更新

同じく「中央2出口」という出入口。名称では「出口」なのか。 中央の出口は北東から1番、時計回りに北西の8まである。それぞれの地上には多数のビルがひしめくので主なビル名が壁に表示される。名前が変われば表示も変わる。土地勘が無いと方向感覚が乱され…

中央2にある案内図

地下道中央広場の北東角は「中央1」「中央2」の出入口がある。曲がり角の壁にある案内図は要所要所にある案内図と同じ体裁で、ここでは正方形に近いサイズ。 地下道全体がおさまる範囲なのはもちろん、南西の平和公園はレストハウスに及び、北の広島城跡は本…

紙屋町周辺地上案内図

多数ある地下街出入口の、いくつかの広いところでは腰ほどの高さの台に「紙屋町周辺地上案内図」がある。 東西に長い地下街に合わせて、横長の蒲鉾型の地図が表示される。出入口は方位と番号で表されるので記憶するのは難しい。 エディオンやテニスコートな…

地下から大手町へ

地下街シャレオの出入口は、中心部や末端だけでなく通りの途中にもあちこちにある。階段であったりエスカレーターであったり、幅が広かったり狭かったり、自動ドアだったり手で開閉するドアだったり。 隣接して大きな施設がある場合は、その建物との行き来が…

メインゲートの外

メインゲートは球場跡地南東角に位置する。 道路を挟んで東にメルパルク、南におりづる絡みの建物。道路の手前には地下街西端の出入口がある。 地下街の中にも「はなのわ2020」の会場があり、主に写真が展示されている。 地下を行く人をメイン会場へ誘導する…

こども図書館の東

ハノーバー庭園の西に柵が設けられ、サブゲートの脇にテントが立つ。 普段はそれなりに広い出入口だけれど、カラーコーン二つが車両の進入を防ぐ。「自転車走行禁止」の表示もあり、走行でなければ自転車と共に入ってもいいらしい。

花咲く本川

はなのわのメイン会場は本川堤防の「水の都ひろしまゾーン」も含まれているけれど、ハノーバー庭園とは連続せず、出入口が設けられていないので堤防を歩く人が来場者とは限らない。 河川敷の会場を見下ろすように立つ桜。上流側の空鞘橋近辺はさらに多くの桜…

4月頭の早さと遅さ

その、思い出年表の道の西隣は「平和のバラ花壇」と「種苗メーカー出展花壇」。 4月5日の時点では多くのバラはまだ蕾も目立たない、葉と土の色ばかり。 年表のすぐ隣にまっすぐ立つ「陽光桜」は、逆にソメイヨシノよりも早く咲くということで、葉が青々とし…

年表を歩く

『はなのわ2020』会場内の「未来に向けた思い出年表」は、昭和20年(西暦1945)を起点に未来を含めた100年間を、「皆さんの短冊と当時の新聞・写真」で囲んだ道で出来ている。海島博の新聞記事を見てアビ丸を思い出すとは縁起がいいのかもしれない。 県内の…

第3回平和祭の位置

その「2代目平和の鐘の物語」の資料には『ヒロシマの記録』(中国新聞社)から引用した平和祭の様子の写真が2点ある。その写真は、「2代目平和の鐘に関する新聞記事 hiroshima-peacebell.org に画像の載っている、当時の中国新聞記事を初出とする。 鐘を吊る…

平和の鐘再説明

中央公園のハノーバー庭園南には2代目「平和の鐘」が吊るされている。 脚元の説明板の分量は少なく簡潔。昭和24年「8月6日の平和祭に打ち鳴らされた由緒ある鐘」とあり、その前後のことは縷々述べない形。 それを補うように、現在傍に設置されているチラシに…

説明板諸相:世界遺産原爆ドーム

世界遺産としての原爆ドームの説明板は四つの項目と写真で構成されている。 「広島県物産陳列館の建設」「原爆ドームへ」「保存への取り組み」「世界遺産への登録」という四段階。 原爆ドームそのものを解説しようとすると、新しくなればなるほど「世界遺産…

過去を視る手段

在りし日の姿を偲ぶための写真は、現地にいなくてもその場所の分身を出張させることができる。所蔵品の貸し出しより写真パネルの方がお手軽で、物足りないかもしれないけれど、たいていの場合、平板な見た目でも補助的な役目を充分にはたしてくれる。 一方、…

「城下町から近代都市へ」

平成21年の広島城企画展に「変わりゆく広島の町並み-城下町から近代都市へ-」があった。*1 その企画展の一部に広島県物産陳列館(のちの原爆ドーム)のパネルを背景に記念撮影ができるところがあった。 城郭内だった三の丸が官公庁や軍用地へ変貌し、城下の…

川面に映らない照明

「水面に映るもの」のお題を、はてなハイクでよく使ったもので。それに使うことを意図すると水面を境に上下半々の構図になりがち。 原爆ドームの背後に球場の照明があるという配置で写すと、手前の元安川に原爆ドームが移り、遠くの照明は水面には写っていな…

川向こうの高い物

元安川を挟んで原爆ドームの対岸斜め南から眺めると、ドームの奥に球場の照明が見えていた。 上は12年前のフラワーフェスティバル中、下は10年前の4月末の雨の日。

木の間の照明

平成23年初頭、まだ旧市民球場建物が解体される前の様子。既に工事用のフェンスが東角に覆われている。 道路向かいの原爆ドーム前から見ると、街路樹の間に電停覆屋と球場外壁が横たわり、木の上に照明がそびえ立つ。

淡い色の幟

そういった配色のロゴマークなので、それをあしらった幟も派手さは無く、 立っている数が抑えてあることと見通しの良さから、花と土塁(?)とテントの風景に溶け込んでいる。背景には原爆ドーム。