環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

スロープの足元

停留所の入口は横断歩道に接していて、乗る方面によって向かい合う乗り場のどちらかに上がる(向かい合ってないことも)。 普段乗り降りしない人の場合、行きたい方面がどちらの乗り場に来てどちら方向に進むのかも馴染みがないので、遠目にも分かる案内が欲…

広い電停

路面電車の停留所。 到着する電車を案内する電光掲示板は時刻表示ではなく、どの方面に行く電車が「まもなく」や「あと◯分」で着くことを示す。 広電本社前停留所は拡幅されて待合室もできて、ゆったり待てる乗り場になった。 電車のやってくる方向を見上げ…

一年前の呉駅

昨年の10月1日、呉駅を乗り降りした際も真新しい電光掲示板を見上げた。 元からあるホームの屋根の白い鉄骨に、長い腕のように二本の支柱がぶら下げる。右手のホームは竹原方面へ、左手のホームは広島方面へ。

表示板の一年

思い返せば、海田市駅や横川駅の(改札口ではなく)乗り場に案内表示板が設置されてまだ一年ほどしか経っていない。 昨年の8月、設置直後で「調整中」と貼られた電光表示。まだこの頃は各乗り場で次の列車を見上げて確認する動作をしていなかったとは、今と…

今の終端

www.westjr.co.jp 「これまでの運転再開状況」のページを見ると、復旧の進捗が路線図上に色分けされた線で見ることができる。 9月に入って海田市駅以東で到達できることになったのは、呉線では広駅まで、山陽本線では白市駅までとなり現在に至る。 駅構内の…

18日の境

さらに復旧が進んで山陽本線が海田市以東に進めるようになったのは8月18日。3駅先の瀬野までの復旧で、海田市駅で乗降するほかなかった人たちがようやく分散できはじめた。 2番乗り場で折り返す車両も見納めになるのだったか、どうだったか。

代行バスの伸縮

呉線が坂駅まで復旧する前と後とでは、不通区間の代行バスの経路が異なっていた。 各駅に止まる代行バスには、広駅から水尻駅までを経由したのち広島駅へ直行する形態と、坂・矢野・海田市駅間を往復する形態とがあった。水尻以南の人は広島駅には行けても矢…

8月1日から2日へ

海田市駅が起点終点となった時期は8月1日まで。その間、4番・5番ホームの乗降は無く、2番乗り場で折り返していた。 8月2日から呉線の坂駅まで復旧したため臨時ダイヤも少し変わった。

駅前が駐輪場

豪雨後にまず再開できた山陽本線の区間は海田市駅以西となった。 そのため海田市駅を乗降する人が増え(路線バスの不通もあって)、駅前に自転車があふれた。それに応じてロータリー周辺やひまわり大橋上が臨時の駐輪場となった。 海田市駅自転車等駐車場の区…

明神公園の臨時

kanototori.hatenablog.jp そんな瀬野川河口部に臨む、明神町の明神公園は、川に近い方の敷地が広場になっている。 そのため、災害後の土砂等の仮置き場として使われるようになると、あっという間に土砂や流木や大型ごみそれぞれが小山を成して塞がった。

瀬野川河口部の茶色

七月豪雨から数日経ったあと、海田市駅前の橋から瀬野川を見ると、まだ水量が多く濁っていた。国道31号の橋脚にも他の橋にも流木が絡みとどまっていた。 さらに数日経ち、川の流量が減って潮も引いた時間に河口部を見ると川床が土色になり白っぽい。

海田湾の茶色

災害の野次馬よりPAC3の野次馬のほうがマシなのは、仕事の邪魔具合によるので、事後に遠巻きに見てそそくさと引き上げる分にはどちらの場合も害は少ないか。 だからまあ、西明神橋の上から海田湾の濁った海を見ているときに自衛隊のボートが捜索に出発したと…

撤収前の七月

まだPAC3を構えていた七月中旬。詳細に駐屯地内を見れば災害対応の態勢が伺えたかもしれないが、どういう変化がそれに当たるのかよくわからないので、目を外に向ける。 背後に見える山は安芸区矢野と海田町のまたがる山塊。中腹より少し上、谷筋の崩れたとこ…

海田の点防衛

対岸に見える陸上自衛隊の駐屯地は海沿いに演習場があって、創立記念行事で模擬戦が行われる。 創立記念行事 ここに昨年8月に展開されたPAC3は今年の7月末撤収となった。配備された直後は野次馬が西明神橋をうろうろしていたが、撤収のときはどうだったのだ…

鵜の止まる運河

矢野新町は東部流通団地の一部で東半分。 kanototori.hatenablog.jp その東の海は海田湾の入江で自衛隊の駐屯地に挟まれている。 岸に並ぶイカダなどの上に鵜や鷺がとまっている。

矢野安浦線の高架

矢野新町と矢野西の境は海田湾の奥の運河が隔てていて、矢野安浦線は山の上の団地から一跨ぎに矢野新町に下りる。 高架の下は船だまりで堤防のあちこちにボートが係留してある。潮が引くと堤防の下のコンクリートが露わになり、小川の川床が段差となる。

伐採後

かの豪雨のせいか、その木は期日が来てしばらくは残っていた。しばらくのち、翌月末には切り株だけになっていた。 くっきり姿を見せたガス管は、公園の地中から上に伸びて東へ曲がる。高架になっている県道矢野安浦線をたどる。

意図しない木

安芸区矢野新町。 広島市の管理する公園で、6月ごろ除草作業がなされて緑地がすっきりしていた。(今はまた繁茂しているが) 草が無くなったあとで目立つのは、公園の隅に埋設されているガス管とその囲い。その囲いの中に生えている木は所狭しと生い茂ってい…

城を望む楓樹

植樹されて間もない時期は幹が細いので、それを囲む範囲も狭い。 植樹の経緯を説明する記念碑も囲いの広さに応じて近い。 広島城跡内堀の北、基町高校向かいの公園にタイワンフウの植樹が二本。 www.sankei.com 日光東照宮の楓樹と広島市の被爆アオギリ二世…

平成15年の桜

同じ境内に植えられている桜は、杭ではなく括られた名札でその来歴を示す。 まだ新しい平成15年に寄贈された桜「福禄寿」。

平成2年のしるし

若宮古墳にほど近い八幡宮境内にも木の標柱がある。これも若宮古墳と同じ年の見かけた。 石の玉垣や記念碑があちこちに佇む境内に、陛下の御大典記念の(多分)植樹を示す木の杭。これが戸島大塚のように太い木柱だったら、早くに朽ちて交換が必要になっただろ…

勇免遺跡のあるところ

11年くらい前、三次の風土記の丘に塩町駅から行ってみようと、特に地図も持たず降りたところ、背後の山にある塩町中学校への坂道に行き着きいたので引き返した。 中学校手前の空き地に「勇免古墳群」「勇免遺跡」と書かれた茶色い木の柱が立っていた*1。そん…

説明板もうひとつ

昭和63年の若宮古墳説明板は、三次市教育委員会の設置で、 それより小さめな説明板は、設置年は見えないが広島県教育委員会と三次市文化財保護委員会の連名。樹間に斜めに引っかかっている様子から、この時にはもう役目を終えていたように見える。

若宮古墳の石柱

三次市十日市町の若宮古墳はさらに古い時期に指定された史跡なので説明板がさび付いていた。十年前の写真なので今はどうだろう。 説明板の手前には太い石柱に「広島県史跡 若宮古墳」と刻まれている。木より石か。

朽ちた標柱

道路から古墳に通じる開口部は、説明板と白い標柱に挟まれている。 県の史跡に指定された翌年に設置された標柱は、古墳名が大きく表示されている。 ただし木の内側から朽ちて頂部を失い、痛々しい割れ目を見せている。 平成の始めがこれくらい古いイメージを…

説明板諸相:戸島大塚古墳

同じく安芸高田市の古墳で、向原町の戸島大塚古墳は県指定の史跡。 付近まで舗装された道路があるので近づきやすい。路傍の説明板はけっこう高い位置に設置してあるが読みやすい大きさ。出土品が行方不明とのことで、解説文と遺構の図のみとなる。 指定され…

説明板諸相:甲立古墳

甲立古墳が国の史跡に指定されたのは平成28年3月。現地に説明板が設置されたのはその翌年平成29年。 左半分に古墳全体の測量図と調査状況の写真が添えられている。実際に墳丘斜面に多数の葺石が散乱しているのが見える。 出土品の中でもっとも注目される家形…

墳丘と幟

多目的広場にある甲立古墳の幟は、古墳現地の墳丘上にも立てられている。 山道から古墳の脇にたどり着くと説明板があり、小さな立て札の示す矢印から近づいていく。 後円部の墳頂部に囲いがあるのが幟と並んでいるのを見上げる。

多目的広場駐車場

麓の駐車場は甲立多目的広場の駐車場で、隣にグラウンドがある。 甲立古墳の幟や木製の看板など、甲立古墳をアピールする場所でもある。 地元の甲立小学校*1児童による「ようこそ 甲立古墳へ」の彫刻は甲立古墳そのものではなくイメージだが、教科書に載る畿…

距離つきの道しるべ

安芸高田の文化財では、毛利氏関連と並ぶ目玉になった甲立古墳。史跡としての整備が進み、麓の駐車場からの遊歩道ですいすい登って辿り着く。 山道を登ってすぐの分かれ道で、左は「甲立古墳 140m」と示す道しるべが立てられている。たいした距離ではないも…