環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

白い煙突

『西条の酒蔵煙突』(東広島郷土史研究会四日市町並研究会.2012)には18基の煙突が紹介されている。そのうちの「亀齢五号蔵」と「賀茂泉」が鉄筋コンクリート製で白い。他はみな赤レンガ積(イギリス型が15基・ドイツ型が1基)。 賀茂泉の煙突は、もと広島…

龜齡・キレイ

福神井戸の敷地の隣が亀齢酒造の第七号蔵。表札には正字体で「龜齡第七號蔵」。 精米所の方では略字の「亀」。 もっと簡略なカタカナの「キレイ」も馴染まれている。

福神井戸

福美人酒造の大黒蔵は酒蔵通りの北東隅にあって安芸国分寺への道の分岐点にあたる。西条駅方面への道をたどると恵比寿蔵・福神井戸を左右に見る。 「福美人醸造用水採取井戸の一つ」が三角形の敷地の奥に鎮まっていて、傍らに「福神井」の碑。説明板に創業の…

白牡丹の天保井

西条鶴の向かいには白牡丹。入口脇の壁に「四日市冥加の水」と題した説明板がある。 「ようやく辿り着いた宿で、渇いた喉を潤す一杯の水」として江戸時代から親しまれてきた西条盆地の軟水、ということを掲げられるのは、同社が延宝三年創業という古さがあっ…

西条鶴の天保井水

酒蔵通りの西条駅近くに西条鶴酒造があり、通りに面して「江戸天保井水」が注がれている。「江戸」を冠して明治よりは古いものと強調しているのだろうか。 次郎丸井戸と同様の立て札があって、「湧水点=地下弐拾弐米」とある。次郎丸のほうは142m。

次郎丸井戸

胸像の手前には「次郎丸井戸」が屋根型の蓋で覆われている。 「平成元年十一月十四日湧出」の新しめの井戸。 西条駅近辺がもと「四日市次郎丸村」なので「次郎丸」。現在の住居表示は旧村域を細分している*1ので「四日市」や「次郎丸」は使われていない。*2 …

「酒泉館」の字

中国地方の西洋館作者: 白石直典出版社/メーカー: 中国新聞社発売日: 1991/05メディア: 単行本この商品を含むブログを見るには西条の建物が五件載っている*1。 昭和2年竣功の醸造所支所建物が賀茂泉酒造の所有になったのが昭和50年。平成20年度に近代化産業…

橋爪陽先生像

東広島市西条上市町の賀茂泉酒造の施設「酒泉館」はもと「広島県醸造試験場西条清酒醸造場」の建物。 広島県酒造組合・広島県酒造協同組合から広島の酒をご紹介します。 建物正面の庭にある胸像が「橋爪陽先生像」で、広島県工業試験場の初代醸造部長。

村長の前の経歴

昭和17年建立の「中道卯之助翁頌徳碑」。背面の撰文は当時の県知事の吉永時次*1。 刻字の黒い部分と白い部分がまだらになっていて、角度によっては読みにくいものの、欠けたり風化したりしているわけではない。 『広島の石碑 心と形(第一集)』では46頁に紹…

緑井村長の碑

七軒茶屋駅近くの「宇那木神社」(安佐南区緑井町)には「中道卯之助翁頌徳碑」がある。丸みのある題字は男爵若槻禮次郎。 大正元年から緑井村長を務めた人物で、その他多数の経歴が背面に刻まれている。 安佐郡*1緑井村はおおむね現在の「緑井」1〜8丁目と…

三入村から可部町へ

同じく国道54号沿い。「三入小学校入口」交差点の角には三入村民による「三役記念碑」*1が見える。 その道を入ってすぐの小学校敷地角には「荒川龍雄翁頌徳碑」が道路から見える位置に向いている。 昭和二十一年三月帰村三入村長ニ当選三期ヲ三入村政ニ捧ゲ…

大林村長の碑

かべの町かど・メインメニュー の、「吉川翁の彰功碑」と「吉川渉先生の碑」*1は、どちらも大林村(現広島市安佐北区大林)の村長を務めた吉川渉の功績を称える石碑について触れている。「せまい地域で、一人の人物のために、しかも村民が建てた碑が三基もあ…

安村の恵比須神社

同じく長楽寺二丁目の山林部にある惠比須神社。交通科学館の背後にあたる。 山を登る参道途中にある石鳥居には、その背面に建立年と名目が刻まれている。 「昭和六年十月吉祥日」の「安村長田中重太郎建之」で、「昭和三年六月下旬災害復舊記念」の為とある…

安川沿いの茂み

安佐南区を西から東へ流れる安川の南岸、長楽寺と高取南の間に山林が迫っている。 川沿いの道路に面して「田中翁功労碑」が立っている。安村の元村長田中重太郎の功労を称えるもの。ちょうど目にした時には草木が繁茂して「田中」しか見えない。 『広島の石…

元観音村長

観音村が五日市町の一部になってから十年後に建てられたのが、その隣の「天田快造翁顕彰碑」。 大正10年から25年間、観音村長を努めた翁の功績をたたえるため「旧観音村有志一同」が建立した、とある。説明板には主な事績として「小学校の移転統合」「岡の下…

観音村のはじめとおわり

坪井1丁目の観音神社にある「記念碑」は明治ニ十七八年戦役と北清事変の記念碑。観音村が出来てからの十数年の経過を伝える(建立は明治35年)。 その隣の「慰霊塔」は観音村最後の時期の物。両脇の「世間虚仮」「唯仏是真」の石柱背面には「昭和三十年三月…

佐伯郡の観音村

極楽寺山南東部は、谷筋にそって北から倉重・千同・坪井・三宅・屋代・佐方に分けられる。これら近世以来の六ヶ村をもとにして明治22年に「観音村」が発足する。五日市町と合併するのが昭和30年。 広島市立五日市観音小学校 五日市観音小学校の「我が校の歴…

五日市の三宅

(略)種〓*1以下の三驛は、今の郡内にあるべけれど、皆其所在を詳にせず、おもふに、〓*2は箆のあやまりなりや、されば今の平良村、其遺名にても有べきか、然れども種の字義詳ならず(略)『藝藩通志』巻五十一 安藝國佐伯郡ニ 官道驛站 不明ではあると前置…

固有名詞の振り仮名

その「福佐売神社縁起」の石碑は昭和59年設置。 文中で振り仮名が付いているのが三箇所。「えのもとのむらじふくさめ(榎本連福佐売)」「へら(種箆)」「ながとし(長懋)*1」。いずれも歴史的な人名地名で、読み方の難しさというよりは、読む人に対して普…

福島社

下平良村の福島明神が『日本三代実録』に記された「榎本連福佐賣」に由来するものという想定が江戸後期になされ、『藝藩通志』編集の過程で下平良村からの下調べ帳(を用いた安政六年の書出帳)に「福島社」について「古老之申伝ヘニハ福さめ共唱」「榎ノ川…

福佐売神社の裏手

JRと広電の線路を西から見ると、御手洗川の西岸手前(JA広島病院前)で両者の距離が広がり始め、JRは宮内串戸を経て峰高の谷間を抜ける。広電はまっすぐ宮内・平良を経て可愛川を渡る。 渡った先が福佐売神社の裏手で、神社境内との高低差が嵩上げされたのか…

可愛橋東の県道

可愛川の東岸「可愛」を通る道路が県道294号で、夕方に上流方向への車が連なる。 「可愛橋バス停」を通る路線バスは、その県道に沿って可愛川上流域の「原」に通じ、南は「廿日市市役所前駅」とを結んだ。(画像はいずれも平成21年) という、「原・川末線」…

平良の可愛川

新宮の北東を流れる細い川が「可愛川」。広電の車両(連接車)よりも短い鉄橋が架かり、両岸に踏切がある。 読みは「かわいがわ」。新宮の川向かいの住居表示「可愛」は「かあい」とある。「河合川」とも。

廿日市市役所前駅への移行

広電の宮内駅の次は「廿日市市役所前(平良)駅」。こちらの駅前整備は広範囲に及び、南に500mほど離れた市役所へと直結する駅前通りが出来、平成18年から現駅名となった。駅の位置自体も西へ移っている。 それまでは単に「平良駅」。 近辺の駅や公園に設置…

宮内串戸駅の周り

JRの宮内串戸駅前はロータリーが整備されていて、それ以前よりはアクセスの便が相当良くなったのだろう多分。 西には西広島バイパス、東には国道2号。少し離れた幹線道路に挟まれるかたちでJRと広電の駅がある。指定された「自転車整理区域」は駅周囲の細い…

宮内の串戸

串戸地域の概要 というページで「宮内村下組(串戸地区)」とあるように、宮内村の御手洗川河口近くの地区名「串戸」が、JR「宮内串戸駅」や広電の「宮内駅」の所在地となっているので、現住居表示では「串戸」であり旧村名では「宮内」でもあるという関係。…

藤掛橋

御手洗川河口近くに「藤掛橋」が国道2号を渡す。欄干外側に「昭和七年三月竣功」と小さく見える。上流側には「藤掛歩道橋」も。 御手洗川と可愛川に挟まれて連なる丘陵の先端が「藤掛尾」または「藤掛山」で、下平良の氏神「新宮社」や移転後の「廣田神社」*…

御手洗川

宮内・串戸と地御前との境をなすのが御手洗川。 『藝藩通志』地御前村絵図では「宮内川」とあり、宮内村絵図ではとくに表記は無く、宮内の谷を複数の川が絡まり合っている様子が描かれている。 文化3年の『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』の「佐伯郡宮内村」*1「神社寺…

四角の中の地御前

広電宮島線の地御前駅*1のそばに、地御前地区をまとまりとする案内図が掲示されている。 一つは地御前地区コミュニティ推進協議会による「じごぜん史跡めぐり」の絵地図。もう一つは地御前商店会による「廿日市市地御前地区商工案内図」。 史跡や名物のイラ…

地御前のバス停

一丁目から五丁目まである地御前の幹線道路が国道2号で、「地御前神社前」の北には「地御前」「地御前旭」などが続く。「前」の8画目の縦画が取れていたりする。字数の少ない停留所名のほうが隙間があって取れやすそうな印象。 山裾の西広島バイパスには「地…