神和橋の下流側の欄干は外側へ開いているので、端部の橋名板が隠れるようにガードレールが連なっている。
それはともかく、「馬洗川」(ばせんがわ)。
ふるさとの川と桃源郷 (芸備選書)によると*1、世羅郡の馬洗池(まあらいけ)を語源とする統一名称として馬洗川が登場するのが明治の半ば。それ以前の地域ごとにばらばらの呼称だった頃*2は、「南川」「大川」「原川*3」などが使われた。上流の世羅郡では「津田川」。
同書p48の「三谿郡を流れる三つの川」という図にあるように、郡内の大きな川という括りによって現馬洗川本流は「南川」と呼ばれ、「美波羅川」は「西川」に、「上下川」は「東川」にあてはめられた。