環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2025-07-01から1ヶ月間の記事一覧

稲荷に併設

同じく福山市の稲荷神社で、市街地の民家の間にひっそりと社殿と鳥居が見える。(写真は平成19年) けれど掲げられた社号の看板は白くて目立つ。「正一位 松尾稲荷大明神」だけでなく「併設 木之山神社」とあるのはあまり見かけない表現。

三蔵稲荷と石鎚山権現

福山城公園の東側に鎮座する三蔵稲荷神社は水野勝成の勧請による。 参道入口に縦長の看板で「三蔵稲荷神社」と「石鎚神社福山城遥拝所」が立つので車からもよく見える。 鳥居によっては権現と稲荷の名を並べているものもあれば、「福山」「本宮」を左右に配…

鳥居の「祺福山」

木立に覆われた小さな丘「祺福山」は、池の向かいから見ると鳥居や垣根の赤がぼんやりしっかり映る。 鳥居には稲荷の字ではなく「祺福山」が書かれている。「さいわい」といった意味の祺の字は人名で見かけるか、稀な元号で見かけるかくらいなので書き慣れな…

稲荷の遷座元

縮景園内の祺福山で祀られていた稲荷神社も原爆で破壊された。 説明板に、「現在は饒津神社内に復元されています」とあるように、饒津神社本殿の左前に赤い社殿と鳥居が見られる。 www.nigitsu.jp それはそれとして現在の祺福山にも小さな祠がある。

昭和45年の復元

縮景園は原爆で園内の建物を失い、少しずつ復元が進められた。 中心部の清風館は昭和39年に復元、濯纓池の南西岸の島に建つ超然居は昭和45年。 そういった経緯の説明板(2次元コードつき)はさらに後の新しい時期のもの。

鞆城跡の発掘の年

kanototori.hatenablog.jp 鞆城跡のある城山は東西に長い。東側の坂を登ると復元石垣と歴史民俗資料館がすぐ目に入る。ここは昭和61年に資料館建設のための発掘がなされたところ。 城山の西側は公園になっていて城跡っぽさは少ない。わずかに「鞆城本丸の石…

平成29年の看板

庭園の裏手、高校入口近くに立て掛けてあった看板は「史跡鳥取城跡第41次発掘調査」の際の看板。 日付や41次の数字が貼り替えられているので、それ以前の発掘でも使われた看板らしい。ということは41が最後でお役御免か。

中ノ御門の奥

復元された中ノ御門の先には道が二つ。左手の久松公園を通る道と、まっすぐ登って二ノ丸へ向かう道。 高校と庭園の間には、まだ工事現場の雰囲気の濃い土の道。

中ノ御門と擬宝珠橋

久松公園の北に架かるのが宝珠橋で南に架かるのが擬宝珠橋。 www.city.tottori.lg.jp 大手門にあたる中ノ御門は今年復元工事が完了したばかりで木も白壁も明るい色。手前の擬宝珠橋は年月を経て乾いた木の色。

説明板諸相:米蔵跡

平成19年設置の「米蔵跡」の説明板立札は芝生広場の東側に立つ。 「花壇の枠は米蔵の位置と大きさを表わしており」とあるように、ただ平坦な広場ではなく花壇の石の枠で段差がある。 それらも「「環光のまち因幡」推進運動」の一環で、芝生化の前段階の整備…

久松公園

仁風閣と堀の間の広場が久松公園。平成21年に鳥取青年会議所により「鳥取方式による芝生化」が推進された場所で、元は鳥取城の米蔵跡。 二の丸や本丸のような高所に登ることのない、普通の公園利用で落ち着ける場所。

仁風閣と庭園の囲い

鳥取城跡麓の仁風閣は長期休館中。 その敷地内の宝隆院庭園は入れるので、入口に庭園案内図と仁風閣長期休館のお知らせが並ぶ。 www.tbz.or.jp 二の丸の下からも庭園に下りる道があるが、開館時間外は閉まっているので単に麓に下りたい人は別の道が示される…

大手町第一公園

元安川と電車通りの間の細長い街区の大手町には第一から第三の公園がある。 第一は平和大通りより北に、第二は国道2号より北に、第三は鷹野橋商店街より南にある。ビル群の中にあって広場や緑地の少なさを補う存在。緑地だけなら元安川河岸緑地が広い。 大手…

滑り台の傾斜

現役ではあっても昔ながらのまっすぐな滑り台は、未就園児くらいだと危なっかしい。 段階的に滑りやすくなるのは傾斜が緩いものだったり、滑るルートが複数あって曲がりくねっていたりするタイプか。それでもいきなり一人よりは親も一緒に滑る幅があるといい…

中野東の公園

「中野東第二公園」は安芸区中野東の国道2号沿いある公園で、4丁目の西端に近い。 「第一」は安芸区スポーツセンター近くにあり、「第三」は7丁目にあって遠く離れている。 中野東の範囲では他にも「平原第一公園」や「安芸ヶ丘公園」などがあり、それらを含…

石内南の公園

細長い団地の石内南は免許センター入口の交差点近くに「石内南中央公園」がある。 その他、中央より小規模な公園が第一から第五まである。これら公園名はGoogleマップではそのままの表示で、Yahoo!マップでは「第1街区公園」のように表示される。

石内の墓苑と団地

「石内中央墓苑」は石内南の団地の奥にある。 団地内の大きな通りの電柱に案内看板があり、次を左折など矢印で誘導する。 看板の現在地の表示が「五日市町石内」だったりするのは「石内南」の住居表示実施以前からのものだろうか。振り返れば、さらに奥の山…

戸坂大上の奥

戸坂を南北に貫く県道152号。北の安芸大橋から上りつめて小学校や高校のある戸坂大上あたりを過ぎると下り坂になる。そこが地形的には「戸坂」の境ということになるが造成などで市街地が広がると戸坂南や戸坂新町が中山と繋がっていった。 kanototori.hatena…

中山に近い温品

電柱の看板は、設置場所がはっきりしていれば現在地からの方向と距離を示して案内しやすい。 東区の中山西は芸備線の西側にある。そこから見て温品は東にまっすぐ、戸坂は左折して北へ。「温品光霊苑」は温品のうち中山に近い丘の上にある。広島駅方面への向…

墓苑の分譲の広告

呉市阿賀のバス停そばで見かけた広告看板には、国土交通省の警告が貼られていてすみやかに撤去するようにという。これを見たのが平成23年なのできっととっくに現存しない。その広告の中では広両谷の墓苑が分譲中だった。 https://maps.app.goo.gl/f3UM2RJwQp…

建設前の分譲案内

別荘や団地の分譲は道案内の看板が距離と共に方向を示す。 kanototori.hatenablog.jp 「こころ」のように大規模な団地だと看板も大掛かり。 分譲マンションの場合、建設予定地のフェンスに大きく「分譲中」と表示される。道行く人がここにマンションが建つ姿…

団地の分譲の看板

大竹駅にほど近い大竹市油見。 平成24年、北に向かう道の両脇にフタバ図書ともう一件書店があった頃、歩道の電柱に「アクラス大竹」の分譲中の看板があった。 大竹市御園のこの団地はもと三井化学の社宅跡地。

「元就の里」

吉田町の市街地で平成27年に見かけた「分譲別荘地 元就の里」の立看板。 昨年2月のストリートビューには斜めに倒れかかった様子が見えたが、9月には姿を消している。 これがいつ頃から設置されていつまで有効だったのか、少し検索しただけではよく分からない…

「安芸の里」

甲田町が「宍戸の里」なら吉田町は「毛利の里」だろうか。有名すぎてわざわざそう名乗ることは無さそうに思える。 過去見たことのある吉田町の「の里」は、「中世安芸の里」や「吉田町安芸の里」あたりで、吉田町時代のキャッチフレーズのようなものか。吉田…

宍戸の里の記念碑

宍戸司箭神社の麓にはこの神社や五竜城跡の解説が掲示されていたりして、史跡巡りの起点のような場所。 庭園の石のように石灯籠と並ぶ石碑は「宍戸の里 安芸国甲立荘」と大書されている。上部には宍戸氏の紋もある。 旧甲田町全体が宍戸氏ゆかりの地というわ…

甲田町の史跡の石碑

旧甲田町域には宍戸元家(安芸守)に始まる*1宍戸氏・深瀬氏・末兼氏の墓があり、昭和44年に町の史跡に指定されている。現在は安芸高田市の史跡。 www.akitakata.jp 理窓院(上甲立)には「宍戸元源公夫妻之墓」と「宍戸隆忠公夫妻之墓」の石碑の建てられた…

宍戸元家の墓

平成21年にここを通り過ぎた時、田んぼの中に墓があるのを見かけた。日も暮れていて近寄れそうな感じがせず、一般の墓地と思っていた気がする。 https://maps.app.goo.gl/4coXbgiaJcvFRXW96?g_st=ipc 今ではGoogleマップの投稿情報で墓所の様子が分かる。そ…

深瀬の圃場整備記念碑

安芸高田市甲田町深瀬の圃場整備記念碑は国道54号の西側にある。こちらは「圃場」表記。 https://maps.app.goo.gl/3CRRVjv2atLRQr996?g_st=ic 国道と交差する道沿いに碑文が見えていて、背後に水田が広がる。この道を東に進むと江の川を渡り三次市下川立と上…

ほ場整備記念碑

三原市の小坂町は本郷の東の谷筋。水田の多い谷間を県道344号が南北に貫く。 農村公園にある「小坂地区ほ場整備記念碑」は平成21年の建立。タイムカプセルも並んで埋設してある。開けるのは2110年とちょっと先のこと。 碑銘の面も裏の碑文の面も平らに整えて…

土地区画整理記念碑(城町)

石垣のすぐ下にあるのが三原城址之碑で、公園の西の端にあるのが土地区画整理記念碑。 揮毫は当時の県知事大原博夫。公園内に表を見せるので裏面の文は公園の外から見える。 戦中の麻糸増産に始まり、城町の埋め立てと市街地化、そこに通る新国道(現185号)…