環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

牛田聖天への土手道

二又橋のすぐ上手*1、草の生い茂る土手に隠れそうになるガードレールの外に「牛田聖天参詣道」の碑がある。龍蔵院境内の歓喜天のこと。*2


二又川の上流に向かって矢印もある。刻字部分が白くしてあるのでどうにか読める。
川の上流で二股に分かれた先は、牛田東と牛田早稲田という山懐の住宅団地を流れてくる。川沿いを通る路線バスは龍蔵院や女学院大学のある牛田東を経由して牛田早稲田に至る。

毛利輝元の広島築城にまつわる龍蔵院の縁起がMMBAのサイト内にあり、
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「以来「牛田聖天」として、多くの方に信仰され、参詣者の列は二股川の下まで並んでいたといわれています」という、後世の参詣道の隆盛を伝える。

*1:二又川としても京橋川としても

*2:昭和7年雑魚場町から現在地へ移る。昭和55年、火災、再建」『石仏石神等民間信仰調査報告』広島市歴史科学教育事業団.1991.p133