環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

尼寺な説明

芸藩通志

相伝ふ、大一房は、當國相方城主の室人なりしが、尼となり此地に住す、延文貞治の際、此寺の傍に、尼寺十二宇を建つ、正徳年間までは、慶徳庵、珠松庵、松寮、本寮、西寮といふを存せしが、後悉く廃す

とあって、城主夫人や尼僧のことが記録されることで、後世の寺院紹介もその雰囲気が前面に出る。



ひろしま文化大百科 - 西郷寺本堂・山門
http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=579
での紹介文が「本堂、山門とも、何となく女性的に感じられるのは、門前にかつて尼寺が12坊もあったということに由来するのであろうか。」と綴られるのも、文献がそう書かなかったらイメージの端緒はもっぱら創建の時に遡るしかなくなるかも。