芸藩通志に 相伝ふ、大一房は、當國相方城主の室人なりしが、尼となり此地に住す、延文貞治の際、此寺の傍に、尼寺十二宇を建つ、正徳年間までは、慶徳庵、珠松庵、松寮、本寮、西寮といふを存せしが、後悉く廃す とあって、城主夫人や尼僧のことが記録され…
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