環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

豊国神社

厳島神社を見下ろす塔の岡に五重の塔と千畳閣がある。

現在では、通称の千畳閣で呼ばれているが、本来は大経堂であった。天正十五年(一五八七)に豊臣秀吉毛利輝元に建立を命じ、その配下の安国寺恵瓊が造営に当たった大経堂で、ここで毎月千部経の読経が催されるはずであった。
廣島縣神社誌』

明治の神仏分離までは大経堂、千畳敷(全部畳を敷けば857畳)と呼び慣わされてきました。明治5年4月から大経堂を千畳閣と改称し、仏像を大願寺に移し、豊国神社としました。
新・宮島発見伝 内 「インタビュー=寺院めぐり 第4回「豊国神社本殿」」

この千畳閣は元来大経堂(読経所)として仏像を安置してありました明治初年神仏分離の際仏像は大願寺に移し豊臣秀吉公を祀って豊国神社と稱し毎月九月十八日に例祭がおこなわれます
千畳閣の説明板


祭神は豊臣秀吉加藤清正
「千畳閣」には「通称」や「俗に」などを付して広く用いられている。
重要文化財としての名称は「厳島神社末社豊国神社本殿(千畳閣)」で、その読みは「いつくしまじんじゃまっしゃとよくにじんじゃほんでん(せんじょうかく)」となっている。
平凡社の『日本歴史地名大系』でも「とよくにじんじゃ」の振り仮名であるが、上記『神社誌』は「ほうこくじんじゃ」の振り仮名が、現地の拝観料の表示には「hokoku shrine」とある。ウィキペディアで各地の「豊国神社」の一覧を見ると「ほうこく」が2カ所、「とよくに」が3カ所書かれているが、実際にはどちらの呼び方もなされているのであろう。