東へ東へと歩いて蟹屋町の大阪合同紡績広島工場を見学。広島市屠場でもここでも作業の機敏なことに驚いている。
ここで折り返して己斐駅へ戻る道となる。聖蹟巡りの最後、比治山に登り御便殿に着く。臨時帝国議会の休息所を移築したもので、さらに覆い屋を設けて保存した。現在は、まんが図書館の北、壁泉のある広場になっている。写真の石灯籠がその名残。
「大正乙卯*1十一月吉辰奉献」
「大典記念」
「帝國在郷軍人會廣島市聯合分會」
とあり、大正天皇即位の礼の際に建てられたものなので、この修学旅行の時には無かった。
山に登る頃にはさすがに「足はつかれてたほれんばかり」。歩く距離が長いだけでなく、深夜3時に家を出発した事もあって、長時間のめまぐるしい見聞だったろう。
山を降り鶴見橋を渡って西へ向かう道中は緊張の解けた帰路である。
ここも鶴づいている。
比治山にはかつて鶴が居たと伝え、鶴を入れ置いたという鶴小屋の地名も残り、橋名はこれに基づく(旧県史)
『角川日本地名大辞典34広島県』