環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

みよし物怪まつり点景・百鬼青空道中

日曜日。世界妖怪会議。
客席からステージに向かって携帯を構える様はいかにも滑稽である。これが当世風の妖怪であると体を張って主張しているのかもしれない。公共広告機構か。
午後四時半、文化会館の前の人だかりに妖怪に扮した面々が集まり、ここから町を練り歩く。三次藩の館内を「鬼やらい!」(間違い)。

 要するにあらゆる化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。 ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。 人間が進化するにつれて、化け物も進化しないわけには行かない。 しかしいくら進化しても化け物はやはり化け物である。 現在の世界じゅうの科学者らは毎日各自の研究室に閉じこもり懸命にこれらの化け物と相撲を取りその正体を見破ろうとして努力している。 しかし自然科学界の化け物の数には限りがなくおのおのの化け物の面相にも際限がない。 正体と見たは枯れ柳であってみたり、枯れ柳と思ったのが化け物であったりするのである。 この化け物と科学者の戦いはおそらく永遠に続くであろう。 そうしてそうする事によって人間と化け物とは永遠の進化の道程をたどって行くものと思われる。
 化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。 宇宙は永久に怪異に満ちている。 あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。 それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。
寺田寅彦化け物の進化」より