環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

豊穰

そして「豊穰」で検索すると一件だけ。農のことではなく喩えとして。

長篇小説が長篇小説としての構成を持ち得るためには、現実の単なる観察では不足であり、そこに作者の人間的・芸術家的な強い何かの評価の一貫性が、その理解の多様性と共に作品を生命づけていなければならない。独自の社会小説というものもあり得ない。ヒューマニズムという豊穰な苗床さえ当時日本の文芸評論から理論性が消滅しつつあるという重大な危機を好転させ得なかった事実を思いあわせれば、長篇小説、社会小説が本質的な現実把握と文学的実践力を包蔵し得ないままに、ジャーナリズムの場面を賑わした必然も、おのずから会得されるのである。
『昭和の十四年間』宮本百合子