環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

文字抜粋「籠」・その本文

説明板中の文字で新旧の違いはあまり見られず、しいて挙げるなら「籠」の字の右端三本線の向きが違うくらい。


それだけではなんなので、併せて本文も引用。

 この鉄燈籠は、高さ313cm・基礎周囲565cmを測るもので、その大きさもさることながら、全体の調和がとれ、細部の技巧も優れています。鋳鉄名から本鉄燈籠は、文化5年(1808)可部町の鋳物師三宅惣左衛門により鋳造されたもので、可部町鋳物業の歴史を現在に伝える最古の遺品であるとともに、数少ない惣左衛門の作品のひとつです。
 江戸時代の可部町は、出雲・石見両街道の分岐点にあたり、かつ、太田川にも面した交通の要衝でした。このような状況を背景に、可部町を中心としたこの地域の鋳物業は、江戸時代の後半には藩内最高の生産高をほこり、その中でも三宅家は中核的役割をになっていました。
 また、当時この場所は「船入堀」と呼ばれる川船の発着場で、鉄燈籠には毎晩灯がともされ、地元の人々からは「船神さん」として崇拝されており、現在では金比羅大権現鉄燈籠の名で親しまれています。
昭和61年3月 広島市教育委員会

おそらくは、現在「金比羅大権現鉄燈籠」と呼ばれているというよりは、船着き場ではなくなったために「船神さん」とは呼ばれなくなった、という意味合いだろうか。