環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

岩国の桜

同じく「第六潜水艇浮上せず…」―漱石・佐久間艇長・広瀬中佐から、遭難までの日程をみる。
明治42年*112月7日に佐久間大尉は第六潜水艇の艇長を命ぜられる。43年2月から広島湾内での訓練が始まり、歴山丸を母艦として宮島・岩国間の海域へ移動した。
4月1日の休暇で大尉は郷里の敦賀へ家族に会い、また広島へ戻り訓練を再開。
14日には、午前の訓練を終えてから岩国に一同上陸して花見に歩く。大尉から宮治少佐宛て絵はがきに、訓練の成果を報告したのに続けて、

午後は岩国に散策をこころみ乗員積日の労をいやし候。
吉香園の桜花時当に爛漫、実に美事にして一覧の価値あり候。明日はガソリン航走、明後日は帰呉致候。

と、伝えた。

*1:西暦1909年