環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

神杉(廻神・高杉・江田川之内)

神杉村は明治22年から昭和29年に存在した自治体で、廻神の「神」と高杉の「杉」を合成したもの。三次市との合併後は駅名や学校名などに残る。
明治42年の『双三郡郷土地理歴史』*1の神杉村の地勢の描写は「大地一般に稍平坦にして田園遠く連り、辻塚を除く外は殆ど一眸の中にありて、交通に便なり」とある。
「辻塚」は旧廻神村の一部で、芋面*2川の上流に広がる平地だが、村の中心地*3との間に魚切山などの山林が阻む。



芋面川(または県道432号も)は、廻神から北西の高杉*4・江田川之内*5を通って馬洗川に至る。
江田川之内には芋面川のほか、和知川・岩倉川・美波羅川(西川)の合流点もあり、『和名抄』に載る「江田郷」の開けた一帯であろうとされる。合流点に近い馬洗川南岸では、高杉村と江田川之内村の区域が入り交じっていて、江田川之内の中には廻神村の飛地もあった*6
高杉村は知波夜比古神社周辺(下の地図の中心)の平地のほか、浄楽寺跡周辺の山林部(現在のみよし風土記の丘)も含む。

*1:三次市史III』から

*2:いもづら

*3:艮神社のあるあたり

*4:たかすぎ

*5:えたかわのうち

*6:藝藩通志』絵図など