環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

中山保育園前バス停

広島方面から大内越を経た路線バスは、「中山踏切」バス停から北(左折)と東(直進)に分れる。赤い矢印は消えかかっている。


左折したさきは中山峠を越える戸坂東浄団地への路線のみ。一時間に四本以上の頻度。

中山中町の「中山保育園前」バス停は、小字名「西垣内」・町内会は「下組」に含まれる。県道が「く」の字に曲がるあたりに位置し、保育園が県道と芸備線に挟まれ、道路向かいには集会所がある。
【広島市立中山小学校】学校沿革 【広島市立中山小学校】学校沿革 【広島市立中山小学校】学校沿革

現在は中山東一丁目(字地免)にある中山小学校は、明治34年から昭和40年までは集会所のあたりに校舎を構えており、保育園のあたりは大正時代に拡張された運動場が広がっていた*1
移転後の小学校敷地を使い保育園が拡張(定員40→55→100)することで、近隣の人口増に対応していったそうな。*2

*1:そのため、昭和35年に出された移転改築の陳情書に「校舎と運動場が交通頻繁な道路で二分され、児童が危険であること」が挙がっている 『中山村史』p388

*2:『中山村史』p390