環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

光大明神から治功神社へ

「しばしば」と、芸藩通志も触れるくらい「治功神社」に落ち着くまで社号が繰り返し改められた。(吉田家に改称を伺う形)

『大朝町史 上巻』*1が紹介する社号の変遷に関する資料は、上田稲吉『概説新庄史私考』の載せる典拠不記載の「治功大明神」という記事。芸藩通志にある「穏宥明神」の名は見えないが、保存されてきた棟札などの史料と一致するとのことで紹介されている。
元亀4年の創建時は「光大明神」、毎夜光を放つ神怪があったため寛永18年「霊社大明神」へ改称。その後も怪異が止まないということで宝永7年「鋒垂明神」、享保12年に「鋒垂大明神」を経て、延享元年に「治功大明神」と改めてようやく「神異終鎮矣」という。

*1:大朝町.昭和53年