環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

小早川と吉川の取り違え

毛利元就公御廟所之覚」(『高田郡史資料編』所収)は明和四年に萩から遣わされた小川嘉右衛門による吉田への道筋の記録。
「吉田ニテ屋鋪」とまとめられた元就家臣たちの屋敷跡のなかで、「吉川殿御屋敷十日市ノ後大河ノ端」とあるのは小早川の間違いのようで、参考にしたと思しき『高田郡村々覚書』には、

一、吉川元春公之屋鋪跡上吉田之内城山西麓岡本に有之
一、小早川隆景公之屋鋪跡吉田十日市町裏川向に有之

と連続して書かれている。場所は村内ではかなり離れている。