環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

寺山公園への道の出来始め

市道可部大毛寺線が寺山公園入口に繋がるまでは、寺山の東の緩斜面に広がる田畑の合間に細い道があるばかり。民家の集まる南側よりも、北回りの方が新しい道を通しやすそう。
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寺山公園の造成の工事車両は、南側から曲折の多い道を行き来していた。
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現代の掲示板

kanototori.hatenablog.jp

この交差点辺りの自治会の名前に「五輪田」がある。近世末には痕跡を残すのみとなっていた五輪塔が地名となったもの、と過去に錆びた掲示板の文字にその名をみかけた。「上原五輪田自治会」。上原は大字名。
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現在は新しい掲示板が環状交差点の手前に立っている。そこに貼られているお知らせは安佐北区から新型コロナウイルスの集中対策期間の説明。
この掲示がこの時期独特のものであれば良いが。と、当たり障りのないことを。

交差点の上の耳観音

環状交差点ができる前からの道は、寺山の南麓に沿って今の交差点あたりまで来たところで民家や田畑の間を縫う坂道になっていた。
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道を見下ろすように立つ、プレハブ小屋のような観音堂は「耳観音」。その解説は道路脇に大きな看板になっている。
「本尊 大石」と記されてきたため「大石観音」の名も添えられる。実際に大きな石に仏像が線刻されている。
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平成18年に見たときは、ブロック塀がそのまま見える外観だった。