環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

気になりだすと

本社たる衣羽神社のほうの由緒書きを見ると、 鎮座年代は不祥なれど正和二年(1313年)編纂による安芸国、国司所祭の官社を集録した古代神名帳に三位衣羽明神とあり、近郊で最古の格式高い式内社 と書いてあって、こちらも「不祥」。まあ、示偏に見せかけた言…

須佐神社扁額

点の付いた扁額を求めてちょっと南へ。 中区の衣羽神社には境内社が四あり、そのうち一社が須佐神社。 その由緒は 元 荒神社 祭神 須佐之男命 由緒 勧請年月日 不祥*1・芸藩通志に明神社江波村にあり境内に荒神社ありと記載されている。文化八年(一八一一年)…

新庄之宮社号碑

国道に面して立つ社号碑は、昭和50年10月吉辰、岡本與茂一氏奉献のもの。 「庄」に点があるので「土」の筆跡は上に向かう。

新庄之宮扁額

鳥居にかかっている黄色の「新庄之宮」。 「神宮大宮司徳川宗敬謹書」とある。神宮大宮司のあと神社本庁統理となる。 既に載せたところでは、 饒津神社両部鳥居扁額 邇保姫神社両部鳥居扁額 が、同じ人の書。

新庄之宮の頌徳碑

同じく灘尾弘吉揮毫の「岡本與茂一翁頌徳碑」が鳥居の奥に立っている。 この神社や社叢の存続に尽力した岡本氏の事績を讚えるもので、詳しくは石碑の裏面に書かれている。銅板の文字は写しにくいもので、ええ。

新庄之宮標柱

祇園大橋を渡って南へ。国道の右手に夫婦楠を見せる新庄之宮。 標柱*1の文言は「天下泰平」「五穀豊穰」。 建立は昭和50年*210月吉日。 南面に「衆議院議員灘尾弘吉謹書」。勢いある議の字。 *1:しめばしら *2:西暦1975年

「長束八幡宮」の面

総水神碑の北面と西面はともに「長束八幡宮」と刻んであり、上部にはそれぞれ「安産子育 交通安全」(北面)「厄除開運 産業繁栄」(西面)とある。 さらに北面には「文部大臣 灘尾弘吉謹書」と左端にあるが、中央部にも「八幡宮」の字の合間にうっすらと「灘」…

総水神碑の「島」

「太田川總水神」とある下には、「広島ノ県ノ中ニ川ト言フ川ハ数多ク有レドモ」で始まる由緒が十行ほどある。 その中の文字を見ると、「多」と「島」を崩している形が目立つ。 写真に見える所では「幾多ノ」と「広島市ヲ」の部分。

「太田川総水神」碑

安佐南区長束一丁目、祇園大橋の北詰に立っているのが「太田川總水神碑」。 石碑から東に百メートルちょっと行ったところにある「長束八幡宮」が太田川流域の水神を祀る。 南面の下部は「宮司村田敦宣謹選」の由緒が、東面には「奉納 昭和卅九年六月吉日 元…

ここはここは水神

夜も更けてまいりました*1。 水神の御前に伺候する魚です。 赤い膚の魚像が錦帯橋の方を向いていて、口に何かくわえている様子。深海魚ではないはず。 *1:地域限定

こっちの水は錦川

岩国市の白山比竎*1神社の境内に錦川水神社が鎮座している。 楼門の手前で参道に向き合うように建つ。 その標柱には「恭仰神徳 頓謝水恩」の字句。 その由緒沿革を 御祭神 弥都波能売神 岩国市を貫流する錦川は古代より優れた水質と豊富な水量によって近代産…

そっちの水は

U字溝に足をかけて、田んぼに頭を突っ込む猫。 当然ながら、こちらに気付くと睨む。

水飲む背後

渝華園の中に、猫がいることがたまにありまして。 橋の脇で水を飲んでいる姿を見かけたりする。 だんだん近づいていっても、 気付かないまま飲み続けていたのが 顔を上げて停止状態 振り向いて警戒する目。

蛙佇む水の音

その水路を辿った先に、蛙が一匹。 躰の色は草の色というよりは、水の中の藻の色。または泥の色。

蛇の泳ぎ

田植えからまもないころ、水路に流れる水は溢れそうなほどに勢いがあった。 その流れに逆らって蛇が身をくねらせていた。 - 昨日今日と、写真のアップロードがすんなり行かない様子。

烏の行水

またも中央公園。 人の通る道とは多少離れた水場で水浴びするカラス。 二三羽はいたと思ったら、カメラを向けるころには一羽だけ。