環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

福山城内にある寄贈物

長屋門の背後に広がる「先人之森」も植樹されて整備されている。こちらは福山中央ライオンズクラブ。 天守の南の本丸広場には古いポールが「福山ライオンズクラブ」の名を示す。 福山城公園入口に昨年設置された案内図は「福山東ライオンズクラブ」。 文化ゾ…

植え続けられた桜

移築長屋門は福山城公園内の木々を引き立てる。または後から植樹された木々によって引き立てられる。 手前の桜植樹は福山シニアライオンズクラブによって平成16年から育てられた林。「桜を大切に」と刻まれた記念碑の背面に年ごとの植樹の本数が列記されてい…

天守の北西

旧内藤家長屋門の移築先は丘の上にあり、美術館からは東に見上げる位置に、天守閣最上層から見るとすぐ手前の森の中にある。 説明板の地図には、テニスコートなどの現在の施設の配置と埋め立てられた外堀の位置が重ねられる。

移築建物の防火

福山城内の市指定重要文化財「旧内藤家長屋門」は堀の外から内側へ移築されていて、現在は木々に囲まれた遊歩道の途中にある。 建物の扉近くに「消火器」の木札がある。ここに架かっていたのかあるいは中にあるのか。 建物の傍、柵の外に非常ベルとホース格…

門前にとけこむ消火器

竹原市の町並み保存地区の松阪邸は市指定の重要文化財。 街路に面して立つ石柱の背後、塀の角にひっそりと置かれた消火器の箱。茶色く溶けこんで目立たないが字はくっきり赤い。

境内の消防設備

尾道の宝土寺は線路の上の高台を登ったところにあり、山門をくぐると正面に堂宇、右手に鐘楼、左手に吉備津彦神社が位置する。 山門左脇に消火器とホース格納箱がある。振り返るまで気がつかない位置。 神社の石鳥居手前の足元に消火栓がある。黄色い枠の塗…

格納箱置場

亀山南の伊勢神社(長井ふたたびの宮)では、拝殿脇にホース格納箱が置かれている。 正面からは見えにくい位置にあり、電工ドラムといっしょに物置のような一角。周囲には棒状の石材が積まれたり立て掛けられている。その一部は「旧鳥居」の脚部で明和9年の銘…

文化財に赤い箱

指定文化財として保護されている寺院や神社には、消防設備が欠かせない。 木造建築や瓦の黒っぽさが目立つ境内にひときわ目立つ赤い箱。 深川の明光寺には大きな散水銃の箱。北広島の龍山神社には拝殿の脇に小さな消火器の箱。

新旧消火器箱

蓮池の東端交差点、東流する水路の傍らにゴミ集積所がある。 公共スペースとしてほかに掲示板や消火器があり、「通学園路」の看板もある。掲示板横の箱は錆びついていて、今も使っているものか怪しまれるが、地面に置かれている真っ赤な消火器箱は現役のよう…

工事のための土橋

福山八幡など寺社が集まる北吉津町。西の端が蓮池東端に接し、蓮池から東へ流れる水路が境界となる。 水路に面して寺社やマンションなどが入口を向けているので、入口ごとに小さな橋が架かる。 蓮池そばの土地に新たに建設中のマンションがあり、土地の東寄…

神社前の橋

福山八幡宮門前に流れる水路は寺社に合わせた飾りで整えられている。 福山八幡宮が二ヶ所の八幡宮を並べ祀ることから「両社」。 斜めの宮通り - 環藝録 南側の水路に架かる「両社橋」の欄干ガードレールは新しくすっきりしている。それ以前の姿もあったのだ…

半円の割れ方

極楽橋と同じ水路筋に「清水橋」がある。 親柱の銘板の表示は漢字と平仮名で対になっているため、読みがきよみずばしだと分かる。銘板に濁点は無いが。 経年のためか事故のためか、親柱頂部の半円形部分が割れて分離してしまいやすい。四つ角それぞれに状態…

極楽橋の親柱

四隅の小さな親柱は「極楽橋」という橋名が右手に、「大正四年十一月十日」という二行書きの紀年銘が左手にある。 現在欄干になっているガードレールは水路の幅と同じ長さしかない。 大正の親柱および当時の欄干土台と思しき石は、現在の川幅より少し北に長…

欄干の内側

福山城跡の北東を流れる用水路に架かる橋のひとつ「極楽橋」。 大正4年の親柱を残しつつ、それを土台にガードレールが設置されている。 その根元に、アスファルトとの隙間に生えている雑草は、もちろん大正のものではない。

福山城の石垣目地

市街地にある福山城跡の石垣には、草や苔が繁茂するイメージは少ない。 特に南側の駅に面した高い石垣は、いつも日差しを受けてカラカラに乾いて見える。 それでも石の隙間を眺めると色々な草が茂っているのが分かる。他の方角の石垣、とくに入り組んで日陰…

草茂る亀居城

文学碑が点々と据えられている大竹市の亀居城跡。石碑の形が様々なので、掘りくぼめられて磨かれた面は読みやすいが、字の彫られた面にも苔が広がっていたりするとぼんやりしてくる。 それを見た時期が草木の茂る夏場だったこともあり、城跡の小道全体がじめ…

聰敏神社由緒書

水野勝成を祀る聡敏神社は福山八幡宮境内奥に位置する。 平成6年に奉納された由緒書の石碑も、加工の加わらない部分が額のようになって銘文の面を囲む。うっすらと苔もあり付着した模様もあり、庭石のように馴染んでいる。

苔の額

呉市天応の田中八幡境内に「戦役記念碑」が立っている。大正12年5月の建立。 境内の入り口近くの低い段にあり、四重の台石に乗って見上げる高さになる。当時の第五師団長の陸軍中将山田陸槌の揮毫。 刻字のため整えられた面の中心は白く、凹凸の残る周囲が緑…

木々と苔

左右を挟まれた境内前方が、湿り気を帯びて薄暗いのに対して、 社殿背後の空間は裏の道に面して明るい。被曝樹木のタブノキや楠など、色々な肌の樹木それぞれに苔が覆われている。どちらにも映える蛍光色。

上下に苔

その記念碑にも、竿柱にも、石灯籠にも狛犬にも、この碇神社境内は苔に広く覆われている。 雑草とともの根元に塊を作るだけでなく、狛犬の体や台石、石灯籠の笠など、地面から離れた部材も緑色が多く。目線より上の空間の湿り気を感じさせる。

碇神社の御即位記念碑

中区の碇神社の記念碑群は境内南側の境を背にして並んでいる。 そのなかでも大きく黒い「御即位記念」と刻まれた石碑は「白島青年會」による。 上部が欠けていて年号部分が読めない。過去の多くの即位礼の中でほとんど大正か昭和に絞り込まれるけれど、数百…

背後の玉垣

表の参道沿いの整備はそういった節目の年に行われ、 社殿背後を取り巻き、裏参道に開く新しめの玉垣は、昭和天皇在位50周年記念として整えられた。 その芳名板は境内社の並ぶ庭のような空間に立つ。木立が密集していないので明るい。

階段とその脇

表の参道が整備されたのは、注連柱や鳥居の紀年にもあるように皇紀2600年紀年の事業。階段を登った所に建てられている石碑に「参道張石階段改築當時の総代」が列記されている。 階段の麓には「明治百年記念」の玉垣が連なり忠魂碑の方へ導く。 鳥居の前 - 環…

昭和43年の裏参道

その注連柱の先には、同じく昭和15年の石鳥居や明治百年記念植樹など多数の石造物がある*1。階段を上がる表の参道。 社殿の背後には車の通れる坂道が通じている。そちらにも注連柱が建てられていて、墨も黒々と「敬神」「崇祖」。 戦後の注連柱で新しいとい…

日比野正治の書

それとほぼ同じ語句を用いているのが呉市の安浦八幡神社。字のサイズに対して石柱の幅が広い。 一文字だけ「王」が「皇」になっているのは、こちらの注連柱建立が「皇紀二千六百年記念」だからだろうか。 揮毫は当時の陸軍中将呉鎮守府長官の日比野正治。

山田春三の書

石造物の説明板には「又柱」と書かれている標柱(注連柱)は明治39年の建立。 語句は「邦家之経緯」「王化之鴻基」で古事記に拠る。背面の書が止め払いを強調するのに対して正面の語句は滑らかに次の字画につながる。

高い灯籠の台座

同じく本川西岸に鎮座する空鞘稲生神社。堤防の内側に位置していて境内から川を見ることはできないが社殿は東に川の方を向いている。 御由緒・御祭神 | 空鞘稲生神社【公式ホームページ】 公式サイトの掲載の昭和5年の写真には鳥居と灯籠と狛犬が写っていて…

明治の玉垣の台座

新しい石柱も古い石柱も入り混じる玉垣で、この屋号は明治のものだろうか、戦後の新しい企業名か人名が、よく分からなくなる。 脇の入り口に近い台座の石には世話係の名と明治三十三年の建立年が刻まれている。

新聞社近くの胡子

土橋の胡神社は本川西岸の雁木とともに舟運で賑わった町の名残のひとつ。 玉垣のうち古いものには屋号ごとの印が名前とともにあり、 (胡神社の玉垣 - 環藝録) 新しいものは中国新聞社や光和建設(現ソルコムか)などが並ぶ。

大竹の企業名

胡子の所在はその町のその当時の繁栄を反映する。由緒書きにも「大企業も市域では八社が林立」とある。 その境内を囲む玉垣は個人名と企業名が入り交じり、大竹市を代表する工業の紹介ともなる。中には「大竹市金融団」といった団体名も。 参道脇の石灯篭に…