芸備鉄道
三次と広島を鉄道で結ぶとなると(明治の話)、昔からの街道「出雲街道*1」に沿って通せば主要な町を経由できてよろしい。のではあるが、途中の「上根峠*2」があまりにも難所なので、東にずらして「三田街道*3」を通ることに。
そういう路線になる予定ということから、明治45年4月、吉田町に「芸備鉄道線路変更期成同盟会」がつくられた。
迂回して吉田町を通る経路
に変更してほしいと要求。(線で結ぶとこういう地図に。)
線路用地は安く提供するし停車場の土地は寄附すると条件を出す。
そして実地踏査をしたところ、志屋村と郷野村の間の「横山峠」を通るにはトンネルにしなければならないということで、線路変更はならなかった。
そのかわり、小田村内の二つの駅名は、近隣の線路の通らない町村名をつけ「吉田口」「甲立」となった。