環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「大正時代の広島修学旅行」1 師団司令部と大本営跡

日清戦争が明治27、28年*1山陽鉄道が開通し宮島駅(現宮島口駅)ができたのが明治40年*2明治天皇崩御が明治45年*3、その三年後、大正4年*4に高等小学校二年*5の修学旅行の一行が広島市*6を巡った、という展示。
現在の広島城二の丸表御門は復元されたもので、当時の門には師団司令部の表札が掛けられており、「軍服厳しき歩兵の銃剣を着けたる番兵」*7が立っていた。
本丸の中の大本営跡を軍人が案内する。社会見学の応対をする職員のようなものか。「質素な」と形容されることの多いこの建物を見学して、作文は「此の如き狭小粗末なる室内に」との感想を記す。二階で御座所を拝観し、一階で戦利品などの展示を見ている。明治天皇滞在中の様子は、

日野西資博子爵の回想によれば、広島滞在中、皇后は大本営の後方の建物に住んでいた。しかし到着から一カ月近くたっても、天皇は皇后のもとを訪れず、これまで通り大本営の一室に住み続けた。
ドナルド・キーン明治天皇〈下巻〉』「第四十六章 「清国全権代表 李鴻章」」 

などとある。現在は礎石が残る。その西側に同じように礎石の残る「昭憲皇太后御座所跡」が、写真のもの。内側の青いシートは花見の場所とり*8。今年も目にするでしょうか。どうでしょう。

変更

    • 写真に合うような引用に変更

*1:1894-1895年

*2:1907

*3:1912

*4:1915

*5:尋常小学校6年間ののち高等小学校を2年間

*6:だいたい三角州の中

*7:展示資料の作文より

*8:多分