環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「広島の遺跡を掘る」2 中世山陽道の城塞

江戸時代の山陽道(西国街道)は海田・広島城下・廿日市を通ったが、古代律令時代の山陽道はそれよりも内陸部に設けられた。アストラムライン*1芸備線*2を繋いだような道筋と思えばわかりやすい(だろうか)。
掲示された「広島市内『山城』分布地図」は、街道筋を青い線で表していて、中世の山城跡が街道筋を眺める小丘陵にひしめいていることがよくわかる。
とくに、山陰への街道の要衝に拠った熊谷氏の三入と、南の厳島神社と東の安芸武田氏の勢力に挟まれた山陽道の石内に多い。
石内公民館そばにある史跡案内図には、有井城址・水晶ヶ城址・狐ヶ城址・長尾城址・宮尾城址が載っている。
石内バイパスそばの有井城址には、13日の項*3に挙げたような古銭や、武具、土器、陶磁器(備前焼常滑焼・唐津焼・井戸茶碗・天目茶碗・白磁青磁)など、多彩な物品が出土している。
文化財課のページ*4で調査報告書のPDFファイルが見られる。古銭の文字はこちらの表を見た方が手っ取り早かったし、近くを通ったときはそんな城だとは知らなかったし。