尾長天満宮の拝殿の脇にある古い鳥居には、
「安永十年辛丑季春禎祥日」と刻まれている。のっている小石は少ない。
安永十年*1は、四月二日*2に「天明」に改元した。安永八年十月に後桃園天皇が崩御。十一月光格天皇が践祚、九年に即位。「安永」もそろそろ使い収めかあ、という、そんな年始め。間違えた。
『年号の歴史』に紹介されている「乾々斎主人作『年号歌』」は、文化十年*3当時までの年号と時々の出来事を並べて韻文形式に仕立てている。
末尾にあたる安永前後の二帝の部分を引用する(同書の注記も脚注として)*4。
八ハ桃園後ノ帝*5。安永元ニ又大火。二年ニ南鐐銀ヲ鋳。五ニ日光ノ御参詣。
九年ハ今上*6百二十。天明三ニ信濃ナル、浅間山ヤケ 七年ニ、今ノ将軍*7立玉フ。八年京師大火ニテ、皇帝*8寛政二ニナリヌ。四年ニ島原山崩、七年小金御狩アリ。十二改暦 享和元、昌平大学ナリニケリ。四年ニ改ム文化ニテ、今年ハ十酉ノ年。二千四百七十三、神武帝ヨリ承統*9テ、万々歳ノ後マデモ 限リナキコソ尊カリケレ。
「後」の追号のところは、句調に合わせて「後三条トハ申スナリ」「六ニハ後ノ土御門」と適宜書き分けている。
うまく改変して「解体新書」とか「寛政の改革」とかを織り交ぜれば当世風の試験対策になったりする。作っているうちに覚えてしまうという類の。
参考
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- 所功『年号の歴史-増補版』雄山閣出版 1989 asin:4639008457