環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

海老塩浜村

海老山と、その西の三筋川河口までの海岸に広がる低地が、近世の海老塩浜村。中世の湯蓋道空に始まる村とも言ったり、『芸藩通志』に、「万治の頃、斥鹵を墾て、新田及び塩田とし、一村をなす」ともいう。村の産物として「塩 海老浜に所製、一歳、凡千百石、苞一斗二升、或は二斗をいる、苞の形兜巾頭のごとくす、是この浜にかぎれり」と紹介する。
次第に製塩業は衰え、『佐伯郡誌』*1のころまでには、「当時塩浜の数九十九なりしが年を経て田畑と変じ文政二年(紀元二四七九)には尚二十一浜ありしも其の後大芝新開美濃里新開築調せられ遂に今日の地形となれり」となった。
明治22年に五日市村・皆賀村と合併して五海市村となる。

*1:大正7年