昭和58年*1刊の『広島新史 地理編』に、南区の「黄金山をとり囲む地区」として、
仁保沖の猿猴川沿いは埋立が早く、昭和30年代に東洋工業仁保工場の進出をみ、昭和40年代はじめに2号線バイパスの黄金橋ルートが開通した。こうして仁保地区は幹線道路に沿う地区となった。
という変貌が記されている。
ここでの「2号線バイパス」はwikipedia:新広島バイパスにあたる。それ以前の2号線は、広島駅付近まで猿猴川北岸を通る。
国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムの写真で言うと、
- 1947/04/14撮影のUSA-M251-64*2
には当然橋は無く、両岸の埋立地がくっきり見える。
- 1962/05/13撮影のMCG628-C17B-5
になると、黄金橋はまだ無く、すぐ北の「仁保橋」*3が工事中なのが見える。
- 1969/05/21撮影のMCG692X-C6-13