環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

熊野跡への道

現代の車道として「鳥居橋」や「熊野跡路」といった名が使われ続けている。
もちろん年季の入った橋とはいっても近世のものよりは新しくて、道の広さも頑丈さも段違い。

同じく『文化度国郡志』に「土地古今変改之事」という部門で、寛政八年辰年の洪水について触れている。

(略)右洪水之節当村ゟ熊野跡村江通路往還流失仕、其節可也*1ニ道附有之候処、川渡多、出水之度毎通路相成不申、甚指閊難渋仕候ニ付、御願申上、川渡無シニ通路相成様去文化九申年御免許蒙仰、山辺り江新ニ往還附替申候

「人品之事」の部には上瀬野村の割庄屋の文書が載っていて、

川渡一円無之、出水之節一向指閊不申様相成り、往来之者一統相歓申候

川沿いの道から山寄りへと往来の附け替えが成ったことで、川を横断せずにすむようになったとある。

*1:河なり?