環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「金箔瓦の系譜」の断片

本島知辰の「月堂見聞集」巻之二十二(享保十五年*1)の一節。

○松梅院の庭中を掘ぬれば、金像の入し壺五つ六つあり、金の竹流しもありし由也、其外所々に少づゝ埋みたる金もあり、或人の説に、これは四代已前の松梅院の娘は秀次公の愛妾也、此時に拝領の物を埋み置しものと、此説当れり、竹流しの金は、太閤の御時の外に無之物也、
続日本随筆大成〈別巻 4〉近世風俗見聞集 (1982年)

江戸時代の人(とくに都の)にとって、地面を掘って金製品が出たら太閤時代、という理解が説得的であったようで。平成4年に聚楽第跡から大量の金箔瓦が出土している*2。広島では毛利氏時代の遺物であったり、千畳閣の瓦であったり。

件の金箔鯱瓦は、大量の瓦と通常の鯱瓦などとともに、井戸*3に積み重なって出土。展示位置は第一層。それを複製復元した物が通路を挟んで向かいにある。

*1:1730年

*2: wikipedia:聚楽第 

*3:福島時代の