それはそれとして。
『伝説と民話 ふる里音戸』によると、若宮の祠建立は天保の飢饉のさなかに六助という人物が夢のお告げを受けて成ったものという(p24)。
安徳天皇との関わりは、壇ノ浦に下る前に「王泊」に行在所が置かれた際に、対岸の藤脇に渡って風景を愛でたことにあるという(p12)。
対岸の東能美島東南端は、近世の佐伯郡大君村にあたる。
大君村 里人云、昔安徳天皇西狩の時、此の坪土内といふ湊に、御船を留めたまひしを以、かく稱すと、又村内に大君越、わうとまりといふ地もあり、(略)
と、『藝藩通志』(文政8年)巻五十一に、村名の由来として記されている。若宮のある堤防から西を見ると、大君の入り組んだ地形が層を成している。
藤脇でも「大柿町大君」(現江田島市)にある店の看板を目にする。