環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

厳島の山王社

現在の「三翁神社」は神仏分離より前は「山王社」といった。
立て札にぎっしりと書かれているのは「御祭神」と「由緒」。
青銅の鳥居の奥の社殿が三箇所。中央と左殿と右殿それぞれに複数の祭神の名が連ねてある。

天保13年刊行の『厳島図会』*1には、9月23日の「山王祭之圖」が載っているが、例祭は二月の酉の日。前日の申の日に山口開きがある。
祭神については、中央に近江の山王で、「其余二座ハ、平相国清盛・佐伯の祖神を祭るといふ。其證さだからならず」といい、現在とはかなり異なる*2
芸藩通志』にも、2月と11月の上酉の日に山王社祭があり、9月21日にも舞楽があると書かれ、「古文書に相国祭のこと見ゆ。此祭の事なるべし。當社、平相国を配祭るといふ」との考察がある。
元禄10年の『厳島道芝記』では、「左右の御社は當嶋におゐて、口決*3ある御神といひ傅ふ」とあり、外部には明示されていない。

*1:『宮島町史 資料編 地誌・紀行?』所収

*2:平清盛の名は見えないが、安徳天皇と佐伯鞍職の名が「中央」に見える

*3:くけつ。口承、言い伝え