大野浦駅の今川了俊歌碑*1のように、仮名遣いがあやしげな歌碑もあるので、石碑に刻まれた古文はあくまで石碑建立当時の演出手法を伝えるものとして扱うこととなる。
同じく大野町内の石碑に明治半ばの記念碑としての歌碑がある。
隣の説明板の字に従うと、
大国蛭崎の新開を向きて
福可なふ三曽ひと文字
よろづ世に
いさな大野のすえ遠く
にひむらつくる里のますらを
明治二十一年二月建之
と刻まれている石碑だが、ひらがな混じりの細い刻字のため大半の字が読み取れない。
読めなくなった石碑を補助するための説明板ならば、極力忠実な表記で表してくれるつもりで接することができる。