環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

上ケ原の斜面

上ヶ原砂防堰堤*1から南へ流れる帆待川を境に、東に上ケ原古墳群、西に原迫古墳群が分布する。大毛寺と中野の大まかな境でもある。


上ヶ原で近年発掘されたのは標高134mあたりの第34号古墳。過去に確認された三十数基の大半は現在の可部6丁目の住宅地に含まれる。

明治38年の『考古界』5−3に重田定一「安藝安佐郡上ヶ原の古墳」が掲載されている。その時の調査では18基の古墳の存在が確認されていて、南側の3基が「畠地」に、他が「雑木林」の中にあった。18号と名付けられた最南端の石室が開口していたほか、崩壊の程度は様々で、

渓流時々溢るゝと見え、新成の畑地も至つて薄味なり。〓(イ+倉)夫の話に、右の古墳が、かくも破壊されたるも、山水の仕業にて、誰一人鋤を加へたるにはあらざるよし。

過去の土石流によって壊れたもので、開墾のために改変したものではないとの言が収められている。修復は出来ないにしても、畠の中に取り込まれる形で残るのはあえて破壊しないという接し方で、畝観音免と似たようなものだろう。