環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

上ケ原の人穴

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の、
「江戸時代の人が見た可部古墳群」(2011.5.13)という記事に「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」(大毛寺村)の「上ケ原神代人穴」が紹介されている。発掘調査によって寛永通宝が見つかった石室もあることに触れ、「神世の昔の人へ向けての賽銭感覚で供えたものかもしれません」と解している。



「上ケ原」は、近世の村でいうと水落・上中野・大毛寺にわたる帆待川上流の傾斜地。大毛寺村に現在で言う「上ヶ原古墳群」は含まれないけれど、連続する「原迫古墳群」や「青古墳群」を含めて「人穴」が集中しているとしたものか。

「上ヶ原A-1号古墳」は古墳群の中でも標高の低い位置にあり、規模が大きく明瞭な形で開口していたので、人目につきやすかっただろう。ここで寛永通宝23枚が出土している。

人骨片は開口していた閉鎖石付近に撹乱された形で寛永通宝とともに発見された。江戸時代のある時期に開口されて玄室部へあった人骨が持ち出されて埋葬されたのであろう。
可部町史』第二章 歴史のあけぼの p43

との推測もある。
開口した時を目の当たりにした人と、神代の住居跡だと考えた人が重ならないかもしれないし、人骨が出ても墓とは思わないという認識であれば、(近世的に)ちゃんと埋葬して供養しようという対応になるか。