環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-01-01から1年間の記事一覧

筆まつりでの交通

例えば熊野町全体とか、規模の大きい祭りともなると、車の通れない区間を示すだけでなく、 他地域からも人が来るということもあって、幹線道路の交通にも注意を呼びかけ。 役場などに臨時の駐車場ができたり、バスターミナルから町内を巡るシャトルバスが動…

夏祭りの交通規制

明神社の正面は旧国道(県道可部停車場線)なので、普通に車の往来は頻繁。 祭りの時の交通規制の看板があり、神社の近辺の南北500mちょっとの範囲が歩行者専用となる。 ずいぶん前から使っていたような看板のようで、変更のある部分は白地がくっきりと目立…

玉と子と

明神社の狛犬は四つ重なった台座に立っている。 玉に前足をかけ、その玉に乗ったり凭れたりする子供もついている。

金偏じゃなくておk

明治百年ということで、昭和43年に奉納されたものは多く*1、きっと数十年か経ってみれば、昭和半ばの風物が反映されてることを実感することでしょう。今見るぶんには時代が近すぎて注目する部分が違ってしまうけれども。 安佐北区可部の旧街道南部。浜の明神…

新旧の標柱

正面参道入口の標柱は大正四年の「奉献」(左右とも)。 車道の方の入口は明治百年記念*1に立てられたもの。 千古の神徳を仰ぎ、万民の弥栄を祈る。 「神徳」の対として、戦前の建立だと「皇威」「皇風」等であった所が、「万民」「天下」等が択ばれるように…

登り坂を曲がって石灯籠

早稲田神社に上る道は、車の通れる坂道がもう一つ。 坂を上りつめたところで出迎えるように大きな石灯籠が一つ「献燈」と。 昭和三十九年七月吉日 広島ブルドーザー 企業名でしょうか、えーと google:"広島ブルドーザー" 「"広島ブルドーザー"との一致はあり…

天保と安政

階段を見下ろすと、途中に玉垣*1に囲まれた段があり、左右に石灯籠が並ぶ。 片方は「天保十一庚子年*2九月十五日」、もう片方はその二十年後「安政七庚申年*3三月十五日」。形はほぼ同じ。 *1:昭和35年と39年の年次 *2:1840年 *3:1860年・万延元年

牛田早稲田神社石鳥居

享保の次は元文、ということで。 東区の牛田早稲田神社は二葉山を望む高台に位置し、石段を登ってすぐのところに石鳥居が建っている。 脚に「元文三戊午年九月吉日」*1と。干支の部分は前項と同じく小書きで右上に「戊」、左下に「午」の配置。 平成11年設置…

新旧の石

一段高い所に社殿があり、それをとりまく玉垣は、 内側に「住吉神社遷座記念」と見える。 段上には「享保九甲辰」*1の風化した文字が刻まれている石灯籠。外には意匠を凝らした現代の石灯籠。 たて縄手に面した石鳥居もまた古く、「享保四己亥年」*2の字は灯…

住吉神社遷座

社殿横に大きく「住吉大明神」の白い文字。 裏手の堤防から、「遷座記念」として「建之者」の「発起人 吉田実」他14名の名が連なり、末尾に「富岡円峯書」とある。建立は昭和37年10月吉日。 境内には「神社移轉世話人」の18名の名を刻んだ碑もある。こちらは…

たて縄手の先

町中に設置されている縦長の史跡案内図は、「祇園縄手」「巡礼堂縄手」などの昔からの道が示されている。 「たて縄手」は多治比川と並行する長い小路で、 資料館前を横切って南東へまっすぐ伸び、 江の川の堤防に至る。角には住吉神社が川を背にして鎮座*1。…

郡山展望台から南

上層に設置されている展望図が南を向いているように、展望台から望める方向は南から南東の一帯。 両脇は木が茂っているので、西の多治比川筋は青光井山が正面に見えるくらい。 東は江の川沿いの住吉神社付近まで。 市街地中央には市役所等と病院の建物が目立…

郡山中腹往来

その伊勢大神宮は、「当初は郡山城跡の中腹(郡山公園内上の展望台の位置)に祀られていましたが明治のはじめ清神社の境内に遷され」たとのことで。 案内図を見ると、 清神社の背後の丘陵に、郡山公園・郡山大師堂・遊園地・展望台が散在していて、それぞれの…

穴をよけつつ四角を埋める

清神社の境内社に伊勢大神宮(写真左:妻入の方)と椙若社(写真右)が並んでいる。 伊勢大神宮の由緒書きもまた木の穴をそのままに文章が連なる。 板の縁はまっすぐ長方形をなしていて、そのぶん、中にくいこむ大きな空隙を目立たせている。 神路山伊勢大神…

板に沿って配置

その長い広場の脇、拝殿下の石垣前に立っている、宮崎神社の由緒書き。 一本の木がスライスされて板になる。上下に一杯の広さはないので文字の位置も木にあわせて波うっている。 「祭神」のところは特に穴を飛び越すように行が連なる。文字が抜けているわけ…