環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

店から出る矢印

店の駐車場から外に出るとき、向かう方向と外の道路の状況によっては細かな指示が地図にあらわされる。 出方に指示がなくても、この方面に行くにはこちら、という大まかな道案内が置かれることは多い。 (可部陸橋のそば http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20…

断続の矢印

地図上の道路が幅のある実線なら、その上をたどる矢印は点線が見やすい。 横断歩道の縞々を表現しつつ、その上を点線の矢印が通るとなるとすこし見づらい。 点線のようで点線でない、短い矢印を連続させたルートマップもある。分岐がある場合に便利かもしれ…

点線の道

地図上の道路の線が点線のとき、たいていは工事中か予定線の区間で、まだ通ることができない。 平成18年設置の安佐北区の地図中で可部バイパスは南原口まで開通済みの描写。翌年には1.8km延伸して開通しているので、すぐに現状と合わない線になったまま年が…

道の案内図

同じく広島城前に置かれた道しるべとその案内図。金属表面の凹凸が街区と建物の密集具合をなんとなく感じさせて、その中の文字を読もうという気を感じさせにくい(良くも悪くも)。 名所旧跡については道しるべが方向を示しているから、地図上に記号をつくる…

広域避難場所

平和公園や中央公園は広域避難場所に指定されているので、その範囲を示す地図が設置されている。 古くなると色あせてしまって、ただの黄色い地図と見られるか、地図とも気付かれないほどに文字も薄れる。 新しい地図では色や文字がくっきりしているだけでな…

本川が西

元安川の平和大橋に対して、本川に架かっているのは「西平和大橋」。 橋の紹介ページでは、工法についての目立つ所はとくに無いと書かれ、平和大橋よりも距離が長いというフォローが入る。

平和大橋

広島県のサイト内に「これまで建設されてきた,ひろしまの優れた橋・歴史的な橋・芸術的な橋・ユニークな橋」を紹介する特集ページがあり、建築技術上の特徴を持つ橋がまとめられている。 行ってみよう・撮ってみよう・渡ってみよう「ひろしまの橋」 - 広島…

国道2号の恵川の橋

その恵川橋よりも下流に位置する国道2号の橋は、昭和25年「我が国で初めて恵川新橋で採用されることとなる「突き合せ溶接」」により作られた。(下記リンク先による。または現地の記念碑「恵川新橋」) 恵川新橋(えがわしんばし) - 広島県ホームページ 標…

恵川橋バス停

おおたけ幹線バスの「こいこいバス」は大竹駅と玖波駅の間の主要施設を経由する路線。 交通案内|大竹市市役所 玖波駅の次のバス停が「恵川橋」。 その次が「広島西医療センター」だけれど、上記リンクのルートマップでは表記が「広 土医療センター」になっ…

恵川の恵

橋名板のほうは石に刻まれて白く細い線になっている。「恵」の字の線の交差が多くてギザギザしている。 ひらがなのほうは「えかわはし」。

佐伯郡大竹町

市よりも前、大竹町の頃は玖波などを含まない小さな範囲。 玖波の恵川に架かる「恵川橋」の親柱に錆付いた銘板が残っていて、「昭和四年八月竣工 佐伯郡大竹町 請負人向井寛二」とくっきり見られる。

大竹市全図(イラスト)

廿日市市の南西に接する大竹市の範囲は、昭和29年の市制施行以来合併が無いので全図の変化も無し。 駅前の「大竹市街図観光案内図」の枠内に「大竹市の観光イラストマップ」が設置されている。これ以前に「市街図観光案内図」があったんだろうか。 市の範囲…

廿日市市全図(現)

榎浦橋近くで見かけた「はつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン大会」の支援自販機と資源回収箱。 回収箱側面にコースマップが載っている。薄い緑で市の範囲が示され、大野瀬戸を通る青線がスイム、大野・廿日市・佐伯を通る緑線がバイク、吉和でも…

廿日市市全図(旧)

JR阿品駅前で平成21年に見かけたのが「廿日市市全体案内図」。合併前の範囲なので最南端は大野町との境、最北端は湯来町との境。

広島市の全図

たぶん今もなお、広島市全図を載せた案内図の中には佐伯区湯来町を含んでいない時期の物が残っているのだろう。(下の植物公園内の画像は平成23年)。 五日市駅掲示の佐伯区案内図のように、佐伯区のみに絞ってあらわした地図などは、早めに旧五日市町と旧湯…

安芸区の全図

区役所は船越南三丁目にあり、海田町との境界に近い。 「安芸区管内案内図」が青色で示しているのが安芸区の範囲で、その周りや真ん中に安芸郡の町が位置する。「ア」の字に似ていなくもない。

町章と区章

どちらの記念植樹の碑にも船越町の町章がある。 安芸区の一部になった現在は、アの図案化による区章が一般的とはいえ、町章の制定から合併までの短い年月だけ使われるのは惜しまれそう。

安芸郡船越町と広島市船越町

昭和3年、安芸郡船越村が町制施行で船越町となる。 岩滝神社境内に「町制施行四十五周年」の記念植樹がなされた。 広島市に編入されたのが昭和50年なので五十周年には届かず。 船越公民館には合併二十周年の記念樹がある。合併なら広島市が続く限りは(分離…

生まれた時の村

松本隆興の生年にはまだ吉土実村は無くて吉行村であったり、 檜山袖四郎の生年には船越村であって、船越町になるのは昭和3年だったりと、経歴の表現の細部を気にするときりがない。 が、きりがないことが与える安心感は大きい。その石碑が作られた当時の感覚…

船越の丘の上

安芸区船越の岩滝山で船越や海田の街を眺める位置に立つのは、 船越出身の県議会議員「檜山袖四郎君之像」。「君」が政治家っぽさを醸し出す。 藍綬褒章授与までの経歴を刻んだ石碑が傍にある。井上政雄(桂園)による碑文。

松本学校の像

現東広島市西条町吉行に瀬戸内学園の前身「私学松本学校」が創設されたのが明治34年。当時は賀茂郡吉土実村。*1 安芸国分寺跡近くに胸像「松本隆興先生之像」があり、学園の沿革などがつづられた説明板が平成19年に設置されている。周りに植栽が無い場所の胸…

「小林政夫之像」

福山商工会議所の前*1に設置されている胸像は、平成12年に亡くなった「小林政夫之像」。 誠之館人物誌 「小林政夫」 福山誠之館同窓会会長(第7代)、福山商工会議所会頭、日東製網株式会社社長 のページの年表が示すように数多くの肩書きがある中で、この…

太田川を見守る像

昭和40年、岩沢忠恭参議院議員が亡くなり、太田川放水路起点を望む地に胸像が置かれた。 碑文は当時の広島市長浜井信三。

1984年

元安川近くの「平和祈念碑」は広島西・長崎西両ライオンズクラブによる祈念碑。 題字は「1984年3月14日」の市長、ということで荒木武市長。

立町になる前

東魚屋町他が立町に編入されて住居表示としては消滅したのが昭和40年。 注連柱は昭和29年、鳥居は翌30年の奉納。鳥居の塗装は塗りなおされている。 社号碑の揮毫は渡邉忠雄。昭和30年から34年の広島市長。 関連 「嗚呼中島本町の跡」 http://d.hatena.ne.jp/…

旧東魚屋町

現袋町の西魚屋町に対して、東魚屋町は現立町にあったが、さらに東の京橋町にも市ができたことで「中の棚」と呼ばれることになる。

旧戒善寺町

明暦の火災で戒善寺は中町(当時)へ移り、跡地は袋町(現在と範囲は異なる)となる。逆に火災後に白島から移ったのが真宗妙蓮寺。 「袋」は戒善寺の祀っていた大黒天に由来するという。戒善寺があったころには寺の名がその地域の名前を指すほどに馴染んでい…

小町の空き地

妙慶院が街区の東の端にあり、隣にはおととし完成の「海雲ビル」。妙慶院の山号が「海雲山」。 海雲ビルの西隣が戒善寺。高田郡吉田から西魚屋町(現袋町ほか)へ移り、明暦の火災後妙慶院隣へ。吉田の頃は「海前寺」と*1。 戒善寺の隣がもと「広島第二有楽…

妙慶院と清岸寺

平和大通りの南の小町で四階建てのビルを構えているのが妙慶院清岸寺。 縁起の紹介ページ*1は妙慶院と清岸寺それぞれあって、現在地付近で続いてきたのが福島正則ゆかりの妙慶院、開基の詳細不明ながら天神町で続いてきたのが清岸寺。 一階テナントにはドラ…

名誉市民の墓

同じく浄土寺境内には尾道町奉行平山角左衛門の墓がある。「角」は中心の縦画が突き出る。 墓が広島市内の妙慶院清岸寺から移されたのが昭和51年。 同寺に残っていた「正則公の母堂と妹の五輪の古墓2基」も鈴張に移転したとある(下記リンク)。 浄土宗 妙…