環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

路傍の幟立て

古井戸・丸子山不動院・衣羽神社など、江波地区の旧跡にそれぞれ解説がつけられている。 明治43年に立てられた二本の石柱による幟立てにも解説があり、現役であることが記されている。 同じ設備でも神社の境内に立っていたら*1単独でとりあげられないが、民…

幟と幕

本川西岸、江波港の北の小山にあるのが丸子山不動院。 春には桜の色にこんもりと覆われる中に林立する青い幟。 法輪の紋が幟と幕にあしらわれ、麓の古井戸の覆い屋にも掛かる。

提灯と幕

可部の旧街道脇、光善坊の稲荷神社で見かけた正月の飾り。 青い幕に白い宝珠がはみだしそうに大きく。 手前の提灯は白地に赤い宝珠。宝珠はアレンジされやすい*1 関連 蘇和稲荷(尾道)の幕は白で赤い宝珠は細い線であまり目立たない。*2 安芸津彦神社境内の幕…

翌日までに更新できず。 (なんとなくそういう縛りでこれまで続けてまして)これで幕、というには中途半端な時期。

揃いの幕

境内社の榊谷神社は諏方神社と同じ段に建つ、本殿のみの小さな社。 こちらも熊野本宮と同じ幕(サイズ違い)で包まれる。

青い幕

筆祭りのとき、熊野本宮の拝殿が幕に包まれていて、 青地に白、ではなく白丸の中に青で剣花菱。

紋つきの鳥居

その昭和12年の石鳥居の願主は伊藤實雄。戦後すぐに衆議院議員になる。 表にも裏にも「熊野本宮」の額が掲げられ、表の柱上部には剣花菱の紋がある。榊山神社の紋だけれど、東隣の参道の鳥居にはついてない。

天保から昭和

そんなふうに風化の具合の異なる大正と昭和の石碑が並ぶと年月の差が強調される。 麓の参道に並ぶ石造物はさらに年がまちまちで、 入口近くの鳥居は天保14年、傍らの社号碑は昭和41年。 奥の注連柱は大正2年、鳥居は昭和12年。天保ならまだ近い、と見れば現…

両方奉納

榊山神社と同じ段にある熊野本宮では、拝殿正面左脇に2本の石柱がある。 大正4年のほうは階段と葛石の、昭和40年のほうは神輿台車の奉献者名が残されている。隣の階段の石の赤茶けた色と対応している。

拝殿を囲む石

榊山神社参道の敷石と階段の奉納者はそのような位置に石柱が置かれ、社殿の基壇を囲む「葛石(かずらいし)」の奉納者名は、石と建物の間で起点を示している。 「従是東」「従是西」のように、その石柱の位置を境に奉納者が異なることが示される。 拝殿に上…

敷石の中

熊野町の榊山神社。 社殿正面にそびえたつ大きな杉は集団ではなく一本だけ。 参道は木をよけることなくまっすぐで、階段から拝殿まで敷石が覆っている。 根の盛り上がりはわずかで、敷石が幹にぴったりと敷き詰められている。 「奉寄進 石階」「奉寄進 敷石…

密集する杉

横一列に並ぶ燈明杉。 今も高く枝葉を広げているのは三本。 地図上では五つの○であらわしてある。

巻かれた株

福王寺の仁王門をくぐって階段を見上げると、「燈明杉」のうちの二本の幹が見える。一本は背丈ほどの株が残るのみ。 タガのように巻き付けられたワイヤーは、痛々しいというよりも、体の一部のように馴染んでいるようにも見える。

巨樹に囲い

清神社の杉の巨木が養生を受けた際は、幹をぐるり取り巻く一本の綱。 土の色も普段と違う。

モミ原生林

大元ルートの起点周辺の、大元公園(大元園地)には「大元公園のモミ原生林」の説明板がある。弥山北側にひろがる原始林のうち、麓のこのあたりがモミ・ツガ・カヤ・ミミズバイの自生する一帯。 高くそびえる林もあり、実生の木が大小の囲いで保護されるもあ…

弥山原始林の碑

さんずいつきの「瀰」はもっぱら「天然記念物 瀰山原始林」でみかけるくらいで、「弥」や「彌」が普通。 昭和4年に天然記念物に指定された瀰山原始林を標示する大きな碑が昭和6年に建てられていて、大元ルートでは六丁の位置にあり、紅葉谷ルートにも堰堤近…

大元ルートの里程

大元橋の少し下手に「御山道」と刻まれた低い石柱がひとつ。 この地点から先の要所要所への距離が列挙されている。 右から「富士岩」「龍ヶ洞」「岩屋大師」「駒ヶ林」「仁王門」「御山頂上」とあり、頂上まで二十九丁。案内図の看板が無かった頃だろうから…

大元橋

紅葉谷ルートに比べて距離の長くて険しい大元ルートは大元川沿いを通っている。 登山道が川を渡るところには「大元橋」が架かっている。 飾りの無い小さな橋が苔むして周りにとけこんでいる。 橋名の刻まれた白石がやや斜めに付いている。

奥の色

少し山奥、紅葉谷公園に架かる紅葉谷橋も赤い欄干と黒い擬宝珠。周囲の緑を引き立たせるか、その逆か。 さらに奥には「奥紅葉谷橋」がある。(平成20年時点で)ずいぶん赤い色が落ち、コンクリートの地色と苔の緑が混ざり合う。それがいい、またはその逆。

赤さの量

白糸川の「滝橋」は朱の欄干に黒みがかった金色の擬宝珠。 大聖院霊宝館*1前の橋は朱の欄干に黒い擬宝珠。 周囲が白っぽい景色だったら朱が多めがいいかもしれない。 筋違橋は朱が手すりのみで控えめで、欄干の大半は塗装の無いコンクリート。朱を見せるのは…

筋違橋

御手洗川に架かる筋違橋の神社側には前項のような灯籠が立ち、 山側の欄干両脇には低めの太い角柱があり「筋違橋」「奉獻」という大きな字。こちらの側の町屋にとっては神社への入口で、よそからの参詣者にとっては厳島神社から大聖院・弥山へ向かう入口とな…

諸人繁昌祷

橋のたもとで対になるような位置でもう一つ石灯籠がある。橋の大きさや片方の灯篭に比べると巨大でくびれたり突き出たりのよく目立つ輪郭。 神社側の面(円筒かと思ってたら六面だった)には「永代夜燈」、橋側の面には「諸人繁昌祷」とある。「寿」ではなく…

看板の陰

さらに川下、宝蔵のそばの橋のたもとにも道しるべを兼ねた燈篭がある。「みせんさんけいみち」とある面は看板がたてかけられがちで目立たない存在。 竿の太さと同じ程度の笠と、それらよりも細い火袋。前項の石柱同様に場所をとらないスマートな街路灯。

四角い穴

その近くの赤い橋のたもとにも「献燈」と刻まれた燈篭が立つ。 一本の石に火袋の空間が開けてあるだけの簡素な燈篭。場所をとらずに壊れにくい。

修復された灯籠

大聖院への道は弥山登山道でもあり、指さす手が彫られた「みせんみち」の道しるべがある。 灯籠の竿石でもあり、享和の物が大正に修復されても元の役目を果たせる位置で立ち続ける。

園内の往来安全

記念館と美術館の間の木立の中にある石灯籠。 明治17年、当時の広村と郷原村の間に置かれた石灯籠が移設されている。道しるべが移されるのよりは違和感が少ないものの、現在地では「往来安全」の役目は少し弱い。

57年の庭

美術館前の庭園は中根金作作庭監修の「故山苑」。 昭和57年8月の竣工で、呉市立美術館開館と同じ。 塔時計は前年に動いているので、庭の背景に塔時計が入ることを織り込める。時期が逆だと違和感が出そう。

塔時計

美術館側の道から庭園ごしに見上げる位置に立つ塔時計。 記念館入口のシンボルとしておなじみ。 第33回入船山記念館塔時計旋律募集の優秀賞受賞曲10曲 | 入船山記念館|Irifuneyama Memorial Museum 地元小中学生の作った「入船山記念館塔時計旋律」の優秀曲…

市電の敷石の道

入船山記念館が開館(一般公開)した年の昭和42年まで運行していた呉市電。その敷石が入船山公園の園路に使われている。 入口からまっすぐの道が記念館へ、左手が美術館へ。