環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

慰霊碑とお供え

その慰霊碑は灘尾弘吉の揮毫。地元にちょっと近い。 石の上から下までぴったりに収まって軽快。 台座の石は手前に突き出して平坦なところがあり、酒や花のお供えが置かれる。 生存者一同の備えた石灯籠も傍にいる。 ようやく終わるこの年度。

砲弾の柵

能見島(江田島市)の、海水浴場近くの利根公園には「軍艦利根戦没者慰霊碑」がある。 慰霊碑を囲む柵は白い砲弾を立てて鎖を渡してある。賽銭箱も白い。 公園自体が細長いから、敷地のへりにある錨を囲んでいるようにも見える。

木の柵も緑

はてなダイアリーとはてなブックマークのプラス(有料版)を使ってたこともあって、はてなスターの緑はまだたくさんある。 現状ではこれ以上増えないが。 宝物館へ向かう石橋の近くに、一遍上人奉納と伝える宝篋印塔が並ぶ。 急斜面を背にして手前には木の柵。…

大楠

もはや、はてなハイクのこれこれのお題ではこういう投稿があったと、ブログパーツで示すことも叶わない。 参道途中のご神木「乎知命御手植の楠」はさらに巨大な幹のため、囲いも広く厳重。石と金網の二重体勢。 地元企業による奉納の玉垣は六角形の角角に企…

楠と柵

兜掛の楠は、横たわる姿によってそれを囲う柵は長方形をとって密着している。 その他の天然記念物の楠木群は、太いものになると一本づつに注連縄と柵がめぐらされる。幹と一定の距離をとって柵が張られるため、人の立ち入らない内側は苔に覆われる。 はてな…

階段下の楠

その階段の脇に横たわる木は「河野通有兜掛の楠」。苔むした幹に乗る賽銭がギラギラとはてなスターのよう。 階段のヘリと繋がるように杭と綱で囲われている。注連縄ではない様子。 「毒蛇に注意」とあるものの、階段の外は区切られていないが、楠の方はきっ…

広い石段と木

大山祇神社の本殿と宝物館とのあいだの道に多数の巨樹が立っていたり横たわっていたり。 宝物館手前の石橋に向かって登る階段は幅が広く、真ん中に段差二つ分くらいの太さの木があって、その周辺の石材が波打っている。算を乱すというか、自然に任せるという…

コンクリートの段

階段状に整地された深瀬の八幡宮は尾根の上にあって、急斜面に接する段はコンクリートで覆われている。 kanototori.hatenablog.jp 切株の残っているところは、コンクリートに囲まれたあとで伐採されたのだろうか。切り口も新しく、若い芽もいくつも伸びてい…

籠塚の手前

安芸区船越の新宮古墳は開口した石室から「籠塚」と呼ばれてきた。 kanototori.hatenablog.jp 柵に囲まれた墳丘の外に神社が祀られている。この辺りを楠木といい、厳島神社大鳥居の材料に選ばれたとかで、それ自体が信仰を集める巨樹だったのか、それともこ…

宮の郷の祠

安芸区阿戸町(熊野跡)の県道沿いの畑の一角に祠があった。 瀬野方面から見ると背後を見せていて、熊野方面に正面を向けて階段がある。県道に並行するので道路から見て奥行きをとらない。 すぐ近くには「宮の郷」バス停がある。

線路の間の階段

石見川本駅の三次方面乗り場は島状ホームにあったので、東寄りの跨線橋を通る必要があった。 それとは反対側のホーム先端は階段になっていた。 そのホームのさらに外側、江の川堤防沿いにも線路が並び、その間にはブロック塀と水道が設置されていた。

踏切から堤防の上へ

石見川本駅近くの「天神町踏切」は江ノ川の堤防と川に迫る短いトンネルのそばにある。 踏切から堤防上へ上がる車道は左へ曲がるが、歩行者なら小さな階段伝いにまっすぐ上がれる。

石垣の階段

正面の石鳥居を構える階段は石垣から突き出る形で、側面に寄附者2名の名が刻まれている。 もう一つ、ひげ地蔵の背後にある階段は、石垣の側面を凹ませたように場所をとらない。

壇の下は森の下

隣に阿弥陀寺跡があったこともあり、八幡の境内にも五輪塔や地蔵が並ぶ。 階段の下の道路近くの「ひげ地蔵」の説明板は「森の下町内会」による。

勝円寺の隣の米八幡

『文政三年高宮郡 国郡志御用につき下調べ書出帳』の村絵図「上中野村下中野村」は両村の境を表示しない。村別の「村内小名」は違いがあるものの重複もあるので地図にあらわすとかなり入り組んでしまう。 絵図上では「勝円寺」の東隣に「八マン」と「アミダ…

臨時の立札

町めぐりの案内のために一時的に立てられた、立札型の説明板。品窮寺の中では他に手水鉢の覆屋の柱に括られていたものもあった。 少し北へ、勝円寺に隣接する路地に面して、船板塀を備える民家とそれを解説する立札が向かい合う。神社正面の空き地に立つその…

小さな水害記念碑

可部の旧街道に近い川は根の谷川(根谷川)。街道筋とその周囲の集落は幾度も水害に見舞われた。 そのうちの昭和3年の洪水により品窮寺境内に4尺の浸水が及んだことが、「水害紀年碑」に残されている。小さな角柱ながら、石垣の角に立っているので草木に埋もれ…

水主町の可愛神社

可愛神社は割合に大きな両部鳥居が目印になる。 kanototori.hatenablog.jp 神社の由緒が手書きで掲示されていて(平成20年)、そこに綴られる再建の社殿と鳥居の新しさが町内会単位の思い入れの強さを示す。「中国地方最大の可愛川を支配している神」とは大仰…

水主町の掲示板

旧道脇の路地に面して「可愛神社」が鎮座していて、ここもまた「花の散歩道」。 その側面の壁に「水主町」の掲示板が設置されている。 所狭しと貼られたお知らせは、可部の町めぐりと可愛神社の秋祭りと両延神社の秋祭り。神社の秋祭りはもともと10月の月末…

イベントの日の散歩道

「花の散歩道」よりも広い旧国道を「可部夢街道」として町めぐりのイベントを行う際、脇の路地にあたる花の散歩道も神社仏閣を巡る安全なルートに含まれる。 平成20年の町めぐりの日、花の散歩道の終端近くに掲示されたチラシは「にせ金鋳造再現」のイベント…

花の散歩道の矢印

散策するルートを案内する矢印は、その先にあるものを示すわけではなく、この道がその矢印そのものであることを感じさせる必要がある。不安がらせないというか、細い線で、そのまま進んでいいですよという。 可部の旧国道に並行するさらに細い路地が「花の散…

同じ方向

本郷町の東西の通りに沿って古墳が連なっているため、古墳への道しるべは同じ方向への矢印がいくつも並ぶ光景があちこちにある。方向が合っていれば設置場所は色々だが、はたしてその矢印でいいのかどうか不安なものも見られた。 東の本郷駅に近いほど、西に…

古墳と自然歩道

古墳は自然ではないが、後から改変されにくくする価値を持たせれば自然に似たものになる。 kanototori.hatenablog.jp 健康への道は本郷の主要な古墳全てを巡らないが、歴史の散歩道は梅木平から二本松まで、一挙に廻るようにと横長の地図で導く。 それらの道…

本郷町の健康への道

広島県の策定したと思しき「健康への道100選」。各地にコースが設定されてその案内図が平成初期からの歳月を経て残っている。 手書き風の絵地図と、所要時間3パターンならびにウォーキングの基本的な注意事項を並べるのが共通レイアウト。 kanototori.hatena…

石仏のある遊歩道の名

kanototori.hatenablog.jp ゆるぎ観音を中心とする霊場を、「ゆるぎ観音」や「石仏めぐり」以外を用いた呼び名を使うと、「もみじ谷」であったり、「城山自然遊歩道」の一部とも言える。 手すりを設けたり階段を整えたりすることで「健康への道100選」に含ま…

もみじ谷整備の刻字

頭上のゆるぎ岩へと登る遊歩道には、黄色い手すりが設けられていて、擬木の階段とともに石仏めぐりを助ける。 その道の脇に「もみじ谷」の名を示す石碑があり、その両脇には手すり寄贈者の碑と、隣の観音水のボーリング工事者の碑があるので計三本の石碑が「…

観音の看板としての観音

熊野町のゆるぎ観音は町の北部山中に開かれた霊場。 kanototori.hatenablog.jp ゆるぎ岩をとりまく石仏群とは別に、近年安置された観音立像は駐車場から霊場への入口の目印となる。 一帯が町の文化財に指定されていることを示す角柱や、郵便受けを使ったアン…

上原橋を向く仏像

稲荷や観音への道の途中は寺山墓苑。そこから山頂への分かれ道もあるので、麓からも目立つ立像は分岐の目印のよう。 建立年は新しく、台座背面に平成19年10月吉日の刻字がある。勝圓寺の「圓」の中の「員」上部は「ム」の形をとる。

途中に墓苑

藤の棚稲荷などに至る小道は、寺山南西端の階段(とスロープ)から始まる。坂道を両脇に階段がつく。 階段を上って道が分かれる部分が寺山墓苑。遠くからも目立つ仏像が待ち構える。

山腹の小道

寺山の西に隣接する根の谷川の改修工事のために稲荷社や石仏がやや高い位置に移転された。 そこに至る道は寺山南西端の墓地に上がる道から分かれた細い道で、山の中の花々を右手に、川の向こうの可部の町を左手に眺めながら進むことになる。登ったり降ったり…