環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

山縣豊太郎像

山縣豊太郎は、大正4年千葉県の伊藤飛行機研究所に入校、大正8年に「民間人初の宙返り」を達成、翌9年の4月東京大阪間往復無着陸飛行大会で優勝、8月に亡くなった。
ということが、二葉山山麓の鶴羽根神社にある山縣豊太郎像の説明板に書いてある。愛機の名は鶴羽。
「鶴羽根(神社)」は明治元年、藩主浅野長勲の命名による。神仏分離以前は明星院八幡宮または椎の木八幡宮