環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

可部分院周辺

根谷川
可部や戸坂・五日市辺りが、市街地から物品を疎開したりする要地で、
さっきの3巻から遡って、今度は『広島原爆戦災誌』の1巻をDLして、まずその139頁。

本土要撃作戦に備えての、総兵站病院の「戦傷兵収療計画」でもあった「防空救護計画」の諸対策が、はからずも原子爆弾被爆負傷者救護計画」として活用された。すなわち市民・軍人など一三、〇〇〇人に及ぶ被爆者の収容と医療処置、輸送と一連の救護活動に大きな役割を果したのであった。

実際に可部地区分院群として「可部分院」「亀山分院*1」「三入分院」「大林分院」「飯室分院」「鈴張分院」が収容にあたって、収容しきれないので、近隣の民家・学校・寺院・神社も使用して。
143頁の図は「可部分院原爆傷者収容状況要図」。
可部街道周辺の地図に各施設の収容人数を記載してあって、

とある。
あとは、南北に流れる根野谷川*3に網がかかっていて、「火葬に付された場所」と書かれている。
写真のあたりから下流に向かって数百メートル。145頁に。

分院近くの根野谷川の河原一帯に火葬場を設け、付近農家から提供された薪やワラを燃料にして、消防団員がその死体を処理した。

*1:地区診療本部

*2:勝円寺

*3:根谷川