環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

井口大歳神社とその周辺

西区井口二丁目の大歳神社は万寿元年*1創建と伝える。*2
神武天皇が井口に立ち寄られた際、船を繋いだと伝える場所を社地として創建したと伝えられている」と説明板にある。昔の海岸から大歳川をさかのぼって500mとかからないものだから、そういう話もついてくる。
住宅の造成で移転といったこともなく、樹齢数百年の木々に囲まれてながら鎮座を続ける。
一方で周囲の変化は激しくて、大正二年*3には井口村内の「岩神明神」「浜胡祠」「小己斐明神」を合祀。昭和39年〜57年には広島市の西部開発事業によって、埋立地(商工センター等)と住宅団地にぐるりと囲まれるような形になった。
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そんな古くからの集落は大きく「浜」(海岸)と「揚*4」(内陸)に分かれる。井口一丁目と二丁目くらいの規模。

毎年、十月十九日に近い日曜日には、井口二丁目(揚地区)にある大歳神社のお祭りが行われ、よごろ(祭りの前夜)には、神楽が奉納されます。
(略)
つぎに、この神楽が奉納される大歳神社は、新宮さま、あるいは活疱明神などと呼ばれていました。浜の子どもたちとけんかした時など、「揚のかっぽうが」とはやしたてられたものでした。
井口の昔を歩く会『いのくちばなし』1990

小学校の学区をさらに縮めたような距離感が、大正の合祀以前の神社の分布に対応する。
芸藩通志』にも大歳神社の別名を活疱明神といい、疱瘡の神として信仰を集めたと記す。大歳神といっても性格はいろいろある。稲荷のような祇園のような便利な存在か。

*1:1024年

*2:確実に遡るのは貞享二年の棟札

*3:1913年

*4:あげ