環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

祇園の歓喜寺

大歳神社の隣に歓喜寺。鐘突台もある。

伝承 元慶8年、真言宗僧宥尊が武田山麓松尾山に開基し、松尾山徳達寺と号し、祇園坊とも称した。嘉元年間、安神社南側に移転、感神院と名のる。明治4年神仏分離令により、現在地に移転。歓喜寺と改め現在に至る。
『石仏石神等民間信仰調査報告』広島市教育委員会

松尾山はここから少し北の、現在の祇園中学校のあるあたりの山林。安*1神社というのは、

古くは祇園天王社・祇園社・須美津社などともよばれたが、明治六年(一八七三)現社号に改称。(略)勧請の詳細は不詳であるが、元慶五年(八八一)別当感神院の祖僧宥尊が大和長谷寺より南下安*2村松尾山へ勧請したという。正安元年(一二九九)兵火に遭い焼失したが、嘉元年中(一三〇三-〇六)武田氏がかつての御旅所であった現在地へ再建。
『日本歴史地名大系35 広島県の地名』平凡社

とのことで、この一組の寺社で祇園社を長いこと続けていた。
現在の安神社の位置は旧街道ぞいで、この歓喜寺の真東1キロほどの所にある。(「電子国土」の地図作成サイトへ)

*1:やす

*2:みなみしもやす