最寄りのバス停は「下調子」だけれども、八幡宮は旧中調子村の中央にあたる。
現在の川内一〜六丁目が旧「川内村」*1で、北西部の「温井*2」と南東部の「中調子」で構成される。古川と太田川に挟まれた低湿地。
『歴史地名大系』に「なかぢょうし」、『角川日本地名大辞典』には「なかじょうし」の振り仮名がある。『芸藩通志』のころだと「なかてうし」となり、「昔は中庄子とも書しなり」と記す。
寛永15年*3の地詰帳と天文10年*4の「大内義隆袖判宛行状」が「中庄子」で、文禄4年*5の「毛利輝元判物写」が「中庄司」とある。