弘化三年丙午*1、「本邑竹鶴伴造尚雅立」、というしめばしら。
右には「於穆神聖上下蒙福」、左には「長享利貞永世無極」。『広島県の標柱』に拠って読み下すと、「ああ穆たる神聖、上下福を蒙り」「長く利貞を享けて永世に極り無し」。
「於穆」の語は『毛詩』周頌の「清廟」と「維天之命」にあるとのこと。どちらも周の文王を祀る詩とされる。王室にとっての始祖。
「穆」の字は他に、大雅の「假楽篇」第二章に「千祿百福 子孫千億 穆穆皇皇 宜君宜王 不愆不忘 率由舊章」という、多くの幸福や子孫繁栄をもたらしてくれる祖霊を称える言葉として使われる。
字義については『字通』に「卜文・金文の字形は、禾穂の実がはじけるほど熟している形で、全体象形とみるべき字、内に充実して、外にあらわれようとするさまで、それを徳性の上に及ぼして穆実の意とする」という。
転じて、子孫からの助け舟に冠して「穆ドラえもん」と言うとか言わないとか。
参考
*1:1846年