環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

観音沖

その昭和6年狛犬奉納は「觀音町沖西」の「眞友會」によるもので、当時の広島市の町名のひとつ「観音町」のうちの「沖」(河口近く)をさらに区分けしたうちの「西」の人たち。

大正3年の石鳥居にも青年団の名として「觀音沖」が見える。妙に格好の良い書体が鳥居の両足を取り巻いていて生きのいい「建」の字。

後に観音町を細分して「南観音町」と呼ばれることになる地域であり、さらに沖に近現代の埋立がなされて「観音新町」が延びる。さかのぼれば近世後期に開かれた「觀音沖新開」にはじまる。